転校慣れした、背が高いサッカー少年だった

 どのようにして、世界最高峰のフランス料理人まで上り詰めたのか?関谷氏にその生い立ちを聞いてみた。

 1979年千葉県生まれの44歳。父親の仕事の都合で、3~4年ごとに千葉県内を引っ越していた。身長は180cmと高く、サッカー少年だったという。

 転校が多かったので、「地元はここ」という意識はない。しかしすぐに友達がたくさんでき、知らない土地に行くことの抵抗感がない。飲食業は、お店を変えてステップアップすることもある職種だ。2002年、23歳で渡仏しているのだが、フランスに行くことも、単に引っ越ししただけ――そう思える免疫がついているのは、子どもの頃の「転校慣れ」が、実は役立っているのかもしれない、と振り返る。

 関谷氏が料理人を目指したきっかけは、母親の手料理だった。手間のかかるアップルパイなどのお菓子も手作りしてくれて、全ての料理がおいしかった。また、少年の頃から、料理に興味があった。当時はテレビの料理番組も好きで、中学生の時には「料理の鉄人」をよく見ていたという。高校は大学の付属校だったので、そのまま大学進学もできたが、新宿調理師専門学校へ入学。料理の世界に身を委ねた。

 18歳の関谷氏に今メッセージを伝えるなら?と問うと、「好きなことを、やっていればいいよ」と答えた。「自分は、興味のあることしかやらない、もし興味がなければシャッターを閉めるスピードが早い性格だから」という。5年前ですら、今の自分を想像できない。人生はどうなるか分からない。「高い目標を立てるタイプというよりは、どちらかというと1段ずつ上りたい」と自己分析してくれた。

「フランスで働きたい!」ホテルを辞めて語学学校へ

 専門学校を1年で卒業し、その後、千葉のホテルで働き始めた。仕事にも慣れ、先が見えてきて、1週間の休暇を取りフランスに行った。リヨンのポール・ボキューズを訪れたら、“フランス料理の法王”オーナー・シェフでM.O.F.のポール・ボキューズ氏本人にも会えるなど、有名店で衝撃を受け「この国で働きたい」と強く思うようになった。

 ホテルを辞めて退路を断ち、フランス語の語学学校で3カ月学んだのは、語学が重要なことが分かっていたから。そしてフランスに渡り、レストランへ「働きたい」と手紙を書いた。

 半年間、レストランで働いた後、ルカ・キャルトンに移った。“ヌーベル・キュイジーヌの鬼才”アラン・サンドランス氏とは2、3回話す機会もあった。この頃、日本にミシュラン・ガイドは存在していなかった。ルカ・キャルトンは初めて働いた三つ星レストランであり、見るもの触るもの全て新鮮で、特に上質な食材を取りそろえていたのが目に焼き付いているという。

 その後、ル・グラン・ヴェフールに採用された。あのナポレオンも食事したという、ベル・エポックの歴史的な建造物がそのまま使われているレストランである。伝統を守りながらも革新を進めるギィ・マルタン氏は、ミシュラン一つ星から三つ星まで1つずつ階段を上がったシェフだ。

 当時のル・グラン・ヴェフールは、三つ星を取得して3年目だったので勢いがあり、世界的に評価を受けている店でもあった。ルカ・キャルトンとはまた違ったカラーの名店で、何でも学びたいと思って働き、いろいろなことを吸収した。