パリのジョエル・ロブションでスーシェフを務めた後、東京へ

 その後、ロブションでも経験を積みたいと思い、入ったのが、ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション。スーシェフ(副料理長)として約5年働き、何十人もの料理人を束ねていた。

 ある日、ロブション氏から「日本で働かないか」と打診があった。関谷氏は2010年に帰国、六本木のラトリエ ドゥ ジョエル・ロブションのシェフに就任した。

 16年、恵比寿店のシェフが変わるタイミングで、ロブション氏と2人きりで話した際、関谷氏もシェフに立候補したところ、「なんで早く言ってくれないんだ」と言われ、謝られたという。

 しかし、結果的には、それが良かった。もし、ただでさえ多忙を極める旗艦店に異動して、そのまま時間に流されていたら、ル・テタンジェに挑戦しようと考える暇もなかったはずだからだ。

 ロブション氏にル・テタンジェコンクールのことを相談したとき、「勝てないなら、やるな」と言われた。だからこそ、偶然ではなく必然の勝利を目指すことにした。しかし、M.O.F.への挑戦は、ロブション氏にも話したことはなかった。「自分にとってM.O.F.は料理人の憧れであり、挑戦するのはおこがましいと思っていた」からだという。

 18年11月、ル・テタンジェで世界一のタイトルを手中に収めた関谷氏は、19年の年明けに、次のチャレンジとしてM.O.F.を目標に定めようと心に決めた。しかし18年の夏にロブション氏は亡くなり、報告することはできなかった。

ジョエル・ロブション氏の思い出

左:エリック・ブシュノワール氏 右:ジョエル・ロブション氏。二人ともM.O.F受章者である。(画像提供:フォーシーズ)左:エリック・ブシュノワール氏 右:ジョエル・ロブション氏。二人ともM.O.F受章者である 画像提供:フォーシーズ

「ロブション氏は、いつも心の中にいる。自分はロブション氏の店で働いていなければ、この2つのビッグ・タイトルも取ることができなかった。影響力があり、恩義のある人である。新しいメニューを作るにしても、彼だったらこう考えたりこう言ったりするはずだというのは常に思う。

 仕事に対して、とても厳しい人であるのは間違いない。それでも、誰に対しても分け隔てなくスタッフを名前で呼ぶ紳士でもあり、この人のためだったら何とかしなければいけないと思える人格者だった」(関谷氏)

 M.O.F.に臨む際、どこへ行っても「ロブション氏のところで働いている」と伝えると、同氏のエピソードを教えてもらえた。そして、必ず周囲の方が優しく接し恩返しやサポートがあった。関谷氏は師匠のことをそう懐かしむ。