「私は子どもを対象とした加害行為を長年繰り返してきましたが、加害行為を成功させるには情報が必要で、同じ嗜好の人たちとのコミュニティや、すでに成功している人のコミュニティにいくつも参加して『加害情報』を集めていました。リアルの世界では話せないことでも、そういった『同業者』の輪に入って堂々と加害願望や性的ファンタジーを話している時間は幸せで、共感されたり、自分が創作した児童ポルノを褒められたりしているうちに、犯罪であることなどすっかり忘れていました」。

実在児童のポルノが野放しだった時代に
パンドラの箱を開けた小学校教師

 ここで、とある小学校教諭Aの例で解説しましょう。実はAは事件を起こす前から、かなりの児童ポルノ愛好者でした。

 Aが子どもへの性的嗜好を認識したのは、独身時代のことでした。当時はインターネット黎明期。たまたまアクセスしたサイトで児童ポルノを目にしたAは、かなり強い衝撃を受け、そのとき初めて自分の潜在的な性嗜好を自覚したそうです。「パンドラの箱が開いた」と彼は表現していました。

 児童ポルノといえば、児童買春・児童ポルノ禁止法を思い浮かべる人もいるでしょう。この法律が施行されたのは1999年。18歳未満の子どもの裸やそれに準じる姿の撮影を「児童ポルノ製造」として禁じ、送付・提供や公開することも禁じられました。

 さらに2014年6月の改正では「単純所持の禁止」が新たに追加されました。自分の性的好奇心から児童ポルノの写真やビデオを所持している場合や、スマホやクラウドなどに保存している場合も処罰の対象となったのです。

 しかし、のちに女児に性加害するAが児童ポルノを目にしたのは、この法律ができる以前のことです。当時のインターネットでは児童ポルノは「見放題」、いわば無法地帯だったわけです。

 Aは子どもや児童の性的描写を見て自慰をし続けていましたが、頭では「このままではまずい」と考え、葛藤も抱えていたといいます。その後、妻となる女性と知り合い、結婚生活を続け、子宝にも恵まれたものの、子どもへの性加害に及んでしまったわけです。

 子どもへの性暴力の背景にあるのは、「児童ポルノを見ているから加害行為をするのだ」などといった一元的な因果関係だけではありません。

 このAの場合は、児童ポルノに加えて、仕事に熱心で、かなりのワーカホリックであることも見受けられました。また、加害行為に及ぶ前には飲酒量がかなり増えており、健康診断で断酒治療を促される状態でした。