マッキンゼーの元幹部が「100万円の札束」を渡して質屋で宝石を買わせたワケPhoto:PIXTA 

マッキンゼー・アンド・カンパニーで長年、東京オフィスのシニアパートナーを務めたピーター・ケネバン氏。マッキンゼー時代の貴重な経験から得た仕事軸を紹介するとともに、海外と日本の就活・転職事情や人材活用の違い、理想的なリーダー像について語ります。【前後編の後編】(ペイパル日本事業統括責任者 ピーター・ケネバン)

>>前編『マッキンゼーの元幹部が明かす日本人の「粘着性」とは?』から読む

マッキンゼー時代に学んだ大事なこと

 記事の後編では、自らのキャリアパスをどのように築いていくのか、私自身の例を紹介したい。

 まず、マッキンゼーに入った経緯だが、私はもともと弁護士で、弁護士資格を得て法律事務所に勤めていた。アメリカの場合、弁護士という職業はどこかに就職したいけれどもまだ決まっていない者がなるというケースも珍しくなく、他ならぬ私もその1人だった。ニューヨークで働いていたある日、マッキンゼーからカクテルパーティーに誘われた。マッキンゼー側も、弁護士という職業にそうした事情があることを知っていたのだ。

 パーティーには人がたくさんいて、お酒を飲みながらさまざまな議論を重ねていたと思う。中国の発展について話していた時、私のことを面白いと思ってもらえたのか、「面接に来い」と言われた。その後、面接を経てマッキンゼーに入社が決まったが、提示されたのが中国に行くか、日本に行くか、あるいはアメリカに残るかという三つの選択肢だった。

 中国語がある程度できたこと、そしてやはり中国が面白いということで、まず香港に行き、後に北京語のできるメンバーを伴って北京拠点の立ち上げを行った。北京にいたのは1996年から2001年までの間で、アソシエイト()時代はコンサルティングで問題解決に当たっていた。

 ある時、中国のハイストリート()ショップで子どもの洋服がどれくらいの頻度で、どのように売られているかのデータベースを作らなければいけないことがあった。しかし手掛かりとなるデータも何もない。

 その頃の中国は信頼性の高いデータが存在せず、データがない中で情報分析をどのように行うかが大きな課題だった。そこで私は自ら市場調査に乗り出した。同僚と、真冬の北京の商店街を駆け回りながら、ひたすら子供服を売る店を見て回った。

 中国での貴重な経験から、実際に手と足を動かす重要性を学んだ。それから数十年たった今、日本やアメリカでも情報収集の際には、実践的なアプローチを心掛けている。このスタイルで一番面白かったエピソードとして紹介しておきたいのは、後に軸足を移すことになる東京での出来事だ。

※アソシエイト:マッキンゼー&カンパニーにおいて、プロジェクトの責任や指揮を行うマネジャーという役職があり、アソシエイトはマネジャーの下で実際の情報収集や分析を行う
※ハイストリート(ブランド):流行の服を低価格に大量販売するスタイル。ハイストリート(英国において街の大通りを指す言葉、メインストリートに相当)に大型店舗を構えて大量販売を行う製造販売業者を指した言葉で、現代においてその役割の一部はファストファッションなどのブランドと重なっている