書影『スマホ片手に、しんどい夜に。』『スマホ片手に、しんどい夜に。』(講談社)
山本隆博 著

 人に語りかける中で「こいつの話を聞き続けてやろう」と離脱されないためのポイントは、「次に予想される言葉を言わない」ことだと私は考えています。

 常套句やクリシェを使わない。こういう話の流れの時に続くおなじみの言葉、どこかで聞いたことのあるフレーズ、何度も繰り返された言い回しを使わないぞ、というマイルール。

 つまらない人のつまらない話はなぜつまらないか。いつもの会議、偉い人の冒頭や締めの言葉、あるいは中学校の校長先生の朝礼、またはありがちな広告を思い出してもらうと、みなさんにもわかってもらえると思う。

「この成績に油断せず気を引き締めろ」「お客様目線で取り組め」「3学期ははやいぞ」「規則正しい生活を心掛けよ」「フォロー&RTで当たる」「くわしくはウェブで」。

 いつもどこかで繰り返されてきたフレーズは、正論ゆえに間違いはないけれど、多用すると聞く側は傾けていた耳を閉じる。なぜなら、もう聞かなくてもわかるから。それは決定的にコミュニケーションを殺す。

テンプレが交わされる就活の
ディスコミュニケーション

 就活といえば「どこかで聞いたことある」「次になにを言うか予想できる」言葉が、この世でもっとも交わされる場面なのかもしれない。横並びする志望動機、クローン化する私の長所短所。判をつくように似るガクチカとエピソード。

「就活とはそういう風にするものだ」となかば脅迫的に刷り込まれる世界では、違う服装、違う髪型を選ぶのは、とても勇気がいることです。私もそうだった。

 だけどせめて、選ぶ人間と選ばれる人間が交わす会話くらい、テンプレの脅迫から解放されてもいいのにと、自分の就活を振り返ってみても思うのです。

「面接あるある」(コジママユコ著、同書より転載)「面接あるある」(コジママユコ著、同書より転載) 拡大画像表示

 話す方も聞く方も、どこかでだれかが言ってたことを、何回も何回も交換し合うだけ。両者が、傾けるべき耳を閉じ合う場所。そこにあるのは、ただのディスコミュニケーションだ。

 なんとか就職した場所で、ようやくテンプレでない言葉をかけられた主人公は、就活の過程で自分のことがまったく伝わっていなかったことを知る。

「面接あるある」(コジママユコ著、同書より転載)「面接あるある」(コジママユコ著、同書より転載) 拡大画像表示

「人を選ぶのは分からないねぇ」という会社の生身の言葉で、ようやく就活のディスコミュニケーションが暴かれるのだ。ひとりトイレで泣く絶望に、私はかける言葉も見つからない。

 もうそろそろこんな虚無、大人の側からやめようよ。

「面接あるある」(コジママユコ著、同書より転載)「面接あるある」(コジママユコ著、同書より転載)