シャープ“中の人”が語る、自分の推しを他人に「布教」するのが実は難しい納得のワケ写真はイメージです Photo:PIXTA

誰しも、心のなかに自分だけのとっておきの「好き」を抱えて生きている。だが、いざそれを言語化しようとしたとき、はたと立ち止まってしまうのではないか。SNSの企業アカウントとしては異例の80万フォロワーを誇るシャープの「中の人」が、「褒め言葉」表現の難しさを語る。※本稿は、漫画SNSサイト「コミチ」での漫画時評連載を集めた山本隆博『スマホ片手に、しんどい夜に。』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。

※編集部注 Twitter(ツイッター)」は2023年7月よりサービス名を「X(エックス)」に変更しましたが、著者の希望により、本書内では特に注釈を付けず「Twitter(ツイッター)」「RT(リツイート)」と表記しております。

日々浴びせられる宣伝文句に
疲れてしまった私たち

 私だって人並みに好き嫌いはあります。ちょっと語弊があることを言いますが、この世には褒め言葉のバリエーションが少ないと思いませんか。

 大人や子どものケンカを見渡してみても、あるいはツイッターを巡回してみても、その行為の是非は別にして、よくもまあこんなに多様な表現があるものだと、罵倒の言葉の数々に感心してしまいそうになる。

 悲しいことに、人はなにかを貶める時にこそ、クリエイティブになるのかもしれない。悪口はつい、舌が滑らかになる。自戒を込めてそう思うことがある。

 それに比べて、褒める場合はどうか。私たちはなにかに対して、たとえどんなに感極まったとしても、よかった、最高だった、好き、待って無理と叫び、それに続けてせいぜい、尊いと呻くだけではないか。

 もちろんそこに込められた気持ちに偽りがあるわけではなく、ただただ褒める方面の語彙を、われわれがあまりたくさん持ち得ていないせいだろう。だがそれにしたって、私たちは己の昂りを、もう少し豊かに言い表せるようになれたらとは思う。

 一方で世の中には必要に迫られ、褒め言葉を捻出する場合もある。

 たとえば広告。全米が泣いた、なんていう褒め言葉を額面どおりに信じる人がどれほどいるか。史上最高画質と謳われて、そのテレビの性能に長期的な信頼を寄せる消費者はどこにいるか。

 あるいは音楽の評や本の帯に躍る「魂」の文字。または勇気をもらった、元気をもらった、人生が変わったというフレーズ。そこには嘘とは言わないまでも、そうかんたんに騙されないぞという、心の強張りを覚える人は私だけではないはずだ。

 とにかく褒めろというミッションの前に、それを仕事にする人は思考を停止して使い回しの言葉を繰り返し、その言葉を受け取る人もうんざりしつつ、無視を決め込んできた。

 そうやってわれわれは、褒める語彙を豊かにすることを諦めてきたのかもしれない。褒めるという行為がビジネスに侵食されるあまり、褒め表現に不感症になってしまった。