前代未聞の
ドタバタ劇の舞台裏

 敵地・平壌で26日に予定されていた一戦が、直前になってキャンセルされる――。水面下で進んでいた異例の事態が公表されたのは、ホームの国立競技場で日本が1-0で北朝鮮を破った3月21日のアジア2次予選第3戦の直後だった。日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長(当時)は報道陣にこう語った。

「次戦が平壌で開催されないことが決まったので、みなさんにもお伝えしなければいけない」

 その裏側では、朝鮮民主主義人民共和国サッカー協会(DPRKFA)がアジアサッカー連盟(AFC)に対して、平壌での日本戦開催を返上するレターを送付。これを受理したAFCが、中立地開催を含めた代替案をマレーシア時間の21日15時(日本時間同16時)までに提示するようにDPRKFAへ通告していた。しかし、期限までにDPRKFAから回答はなかった。

 それどころか、日本戦のために国立競技場を訪れた北朝鮮選手団の団長が試合前に、田嶋氏らに平壌での試合開催ができなくなった件を直接報告。さらにハーフタイムには、日本国内で代替開催ができないかと逆に提案してきたという。

「それは難しいと試合後に伝えたし、先方も理解していただいたと思っている」(田嶋氏)

 田嶋氏が断りを入れた背景には、国交がない北朝鮮の選手団が外務省など関係省庁の協力のもと、特例で滞在許可を得て来日していたからだ。滞在許可は日本戦翌日の22日を持って期限切れとなり、特例ゆえにすぐには延長できない。この時点でDPRKFAは万策が尽きていた。

 宙に浮いた一戦の扱いは、アジア大陸を統括するAFCに付託された。するとどういうわけか、AFCのウィンザー・ジョン事務総長は22日に、次戦が「中立地で開催される見込みになった」と、一転して前向きな展望を示した。

「通常であれば中立地を指名するのは主催チーム、つまり朝鮮民主主義人民共和国サッカー協会の責任となるが、今回は主催チームが指名できなかったため、AFCが会場を選定する形になる」

 しかし、その日のうちにAFCも白旗を上げた。国際サッカー連盟(FIFA)とも協議した結果、中立国での開催もなくなったと22日夜に発表。北京へ向かう当初の予定を変更し、千葉市内で調整を続けていた森保ジャパンもこれを受けて解散し、3月シリーズの活動を終えた。

 さらに23日には、AFCからこの問題を一任されたFIFAが、日程を変更して北朝鮮戦を開催する措置も「取らない」と発表した。新たな日程を組み込む上でのスケジュール的な余裕が日本、北朝鮮両国ともに皆無なためで、これによりアジア2次予選第4戦そのものの中止が決まった。