明治神宮への疑問、利用される「内苑の護持」

 当初、最大の地権者である明治神宮をはじめとした事業者は「老朽化した神宮球場の建て替え」を再開発の主な理由としていましたが、だんだんと都知事までも口裏を合わせ「内苑の護持のため」と言い始めるようになります。

 つまり、広大な内苑の維持管理費用が明治神宮の財政を圧迫し、その救済のため、より収益を上げるよう外苑の施設の更新・増設が必要だというのです。内苑を支えるため、外苑はもっと稼がなくてはならないという主張です。

 しかし、一宗教法人の利益の便宜を図るために、公益を損ねるような再開発が進められていいのでしょうか。「内苑の護持」という言い分は、再開発を正当化するために利用される口実のように思えます。

 最近の報道で、今から20年も前の03年に、明治神宮の依頼を受け、都市計画や造園学の専門家がまとめた「神宮外苑の整備構想」があったことが分かりました。それは創建の理念を尊重した「外苑の環境を壊さないよう、神宮の維持のための必要最小限の計画」であり、造営当時のように住民から行政までを巻き込んで事業を進める民主的な構想でした。しかし、この構想は当時のゼネコンやデベロッパー、都などに説明したものの、賛同者が集まらず実現には至りませんでした。

 その後、オリンピック・パラリンピック招致を機に、現在のデベロッパー主導の大規模再開発計画が浮上したのですが、明治神宮がどのようにして、計画に同意したのかは明らかではありません。

 たしかに内苑の維持は重要なことですが、そのために外苑を犠牲にするような現在の計画が唯一の選択肢だとは思えません。03年の構想がそうであったように、もっと環境に配慮した計画に見直すこともできるのではないでしょうか。

 あるいは、内苑の社殿を囲む森は神域として明治神宮が守り、宝物殿前の風景式庭園などは都市公園として国や都などが公的に管理することで、経済的負担を軽減することも可能だと思います。

緑の更新でも老朽化でもない再開発の理由

 樹木伐採に対する批判を受け、再開発は「緑の更新に必要」「木を切らずにこの計画は成り立たない」と明治神宮は説明しています。しかし、それならば、木を切らずにできる計画に見直せばいいのではないでしょうか。

 野球場とラグビー場の用地を入れ替えず、そして高層ビルを建設しなければ、大量の樹木伐採をすることなく景観も破壊されず、周辺住民の被害も軽減するのです。

 建築の専門家は、2つのスタジアムの改修による保存活用は可能であると指摘しています。日本イコモス国内委員会も、新建築家技術者集団も、樹木伐採を必要としない改修による代替案を出していますが、受け入れたくない事業者は、それを無視し続けています。

 実際に、神宮球場より古い甲子園球場は、シーズンオフを利用し試合を継続しながら改修工事を行い、次の100年に向かって見事に再生を果たしています。なぜ神宮球場はそうしないのでしょう。なぜ現在の計画が唯一無二のプランであると言い張るのでしょうか。

 事業者は、表向きは「老朽化」による施設の建て替え、その際の「競技の継続性」を理由に、野球場とラグビー場の用地を入れ替えて新設するのだとしていますが、ではなぜ「3棟もの超高層ビル」の建設が必要なのかという疑問には答えていません。

 再開発の真の狙いが、都市計画公園の中に無理やりスペースを確保し、異常なまでに容積率を拡大した高層ビル建設によってもたらされる莫大(ばくだい)な利益にあるとしか思えません。

一人の市民として声を上げていく

 この頃よく「環境アクティビストになりましたね」といわれますが、自分では「民主主義アクティビスト」だと感じています。

 この活動を通じて、神宮外苑を守りたいという多くの人たちとつながり、情報を共有して知れば知るほど疑問は拡大していくばかりです。開発の環境への悪影響は言うまでもなく、計画の進め方についても多くの問題があること、その根本的な問題は民主主義の欠如だと気付きました。

 そして、これは神宮外苑だけの問題ではなく、都内や日本中の多くの公園や緑地が開発事業によって脅かされている現実を知りました。皆同じように企業の利益、政治家の利権、それに癒着する行政が一体となって、公益性や民主性をないがしろにし、市民が大切にしてきた場所や景観を奪い、結果として環境へのダメージや樹木伐採という形で顕在化しています。

 神宮外苑を巡る議論は、再開発による環境破壊の典型として広がりを見せ、過剰な再開発に抵抗する市民にとって励みになっているといわれています。コモンスペースである公園や街の景観が、市民が皆で考える課題であることは、もっと注目されるべきです。これからも、一人の市民として、多くの同じ思いの人たちと共に声を上げていきたいと思います。