「ウルトラ」シリーズと「仮面ライダー」シリーズに表現された善悪をめぐる2つのあり方――つまり、超越的に「上」からもたらされる正義と、より等身大なヒーローがもたらす正義(というよりそれはもはや正義と呼ばれることもない)――は、ヒーローものや特撮だけでなく、戦後日本文化により広く深く浸透したものである。

 そのことは、まったくの別ジャンルに同じ対立が見出せることを指摘すればよく分かるだろう。ここで私の念頭にあるのは、時代劇においてそれぞれに一時代をなした、「水戸黄門」シリーズと「必殺」シリーズだ。

 時代の符合も非常に示唆的だ。「水戸黄門」の物語は江戸時代後期の作者不明の講談『水戸黄門漫遊記』に端を発しているが、テレビ時代に「水戸黄門」物語を定番化させたのは、TBSの1964年からの『ブラザー劇場 水戸黄門』(1965年まで)と、1969年から2011年の間に、第43部まで続いた『ナショナル劇場(後にパナソニックドラマシアター) 水戸黄門』である。その後、BS-TBSで2017年と2019年に放映されて、テレビドラマ「水戸黄門」シリーズの歴史は幕を閉じた。

 対する「必殺」シリーズは、『必殺仕掛人』が1972年から翌年まで、藤田まこと演じる中村主水が登場する『必殺仕置人』が1973年、『必殺仕事人』が放映されたのが1979年から1981年で、その後は中村主水を主人公とするシリーズが断続的に1992年まで、そしてスペシャルドラマの『必殺仕事人2007』以降は東山紀之演じる渡辺小五郎を主人公にスペシャルドラマとドラマシリーズが作られている。

「水戸黄門」は「ウルトラマン」であり
「必殺」は「仮面ライダー」である

「水戸黄門」シリーズ(1964年)と「ウルトラ」シリーズ(1966年)が60年代に生まれ、「必殺」シリーズ(1972年)と「仮面ライダー」シリーズ(1971年)が遅れて70年代に、それぞれほぼ同時に始まったことには、偶然以上のものがあるように思えてならない。

 もちろん、10年区切りの年代は恣意的なものでしかないと言えばそれまでだが、黄門/ウルトラと、必殺/仮面ライダーはそれぞれ同種の原理に基づいた2つの作品群なのである。「水戸黄門」も「必殺」も、毎回ほぼ同じような物語パターンをくり返す。