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大震災から2年目の「今」を見つめて

震災後も“世界トップの研究所”を目指し続ける
東北大職員が再発見した仕事の意義【後編】

【第13回】 2013年4月22日
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文字通り、日本全土を衝撃と混乱に陥れた東日本大震災。しかし2011年秋ごろになると、南関東以南では、東日本大震災について日常的に考える機会は、急激に減少しつつあった。では、東北の、震災以前と大きな違いのない風景の広がる地域では、どうだっただろうか?

今回は、前回に続き、職場・地域・家庭とも日常の姿を取り戻しつつあった東北地方の2011年秋から現在への歩みを、東北大学の一研究所で働く人々の声を中心に紹介する。

大震災から半年
心を残しつつの異動

AIMR本館エントランス付近。明治時代の外壁とスタイリッシュな庇が、不思議に調和している

 2011年10月、東北大学で大規模な定期異動が行われた。通常は毎年4月に行われていたが、その年の3月に東日本大震災で被災した東北大学では、例年より半年遅れでの実施であった。

 東北大学・原子分子材料科学高等研究機構(AIMR)・国際ユニット長(取材当時)の我妻建史氏は、東北大学・工学研究科の教務課から、AIMRに異動してきた(前回参照)。

 その時期、震災から半年後の東北大学は、どのような状況だったのだろうか? 我妻氏は、異動直前の教務課の状況を、次のように語る。

 

わがつま・たけし
AIMR国際ユニット長(取材当時)。1995年、東北大学入庁。工学部経理課、医学部、情報科学研究科 日本学術振興会国際事業部、ドイツ・ボン研究連絡センター、本部国際交流課、工学部教務課での 勤務を経て、2011年10月から現職。 国際ユニット長として、国際シンポジウムの企画及び運営、外国人研究者への支援、国際広報等を統括 し、これまでの国際関係業務の経験を生かし、東北大学の国際的プレゼンスの更なる向上に日々取り組む。

 「仕事の状況は……私の担当業務については、10月入学の留学生受け入れ以外は、比較的落ち着いていましたね。通常通りです。もちろん、大震災で立入禁止になった建物もありましたし、その建物にあった研究室が、別のキャンパスに引っ越したりということもあり、震災の影響は、まだ残っていましたが」

前回述べたとおり、東北大学では、大震災の影響で、研究活動を含めて数多くの活動を、一時ストップさせざるを得なかった。また、入学式が延期されたり、新学期が5月に開始されたりもした。しかし、夏季休暇の後は、例年通りの活動と行事が、例年通りに行われる状態になっていたようだ。

 被災した建物の調査や復旧作業に対応するのは、施設部である。現在、AIMRで副事務部門長を務める佐藤伸一氏は、震災当時、東北大学・施設部に所属していた。

 「東北には、数多くの震災経験があります。2010年にも大きな地震がありました。だから、国も我々も、対応は素早いんです」(佐藤氏)

 2008年6月14日には岩手・宮城内陸地震(最大震度6強)、同年7月24日には岩手沿岸北部を震源とする地震(最大震度6弱)、2010年3月14日には福島県沖を震源地とする地震(最大震度5弱)が発生している。「災害は忘れた頃にやって来る」というが、これほどの頻度で大きな地震が発生していれば、とても忘れることはできないであろう。

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