2010年1月19日、経営危機に陥っていた日本航空(以下、JAL)は東京地方裁判所に、会社更生法の適用を申請し、倒産した。それから3年も経たない2012年9月19日、JALは過去最速のスピードで再上場を果たした。
この驚異的な「スピード再生」を実現させたものは何だったのだろうか。当然のことながら、ある一人の人物の名が挙げられる。再生請負人としてJALの会長(当時)に就任した、京セラ名誉会長の稲盛和氏である。
JAL社員の心=意識は、「稲盛改革」によって、いかにして変わっていったのか。稲盛以下トップと社員の証言で、その変化していく姿を追った。(文中敬称略)

稲盛和夫名誉会長・稲盛和夫氏
(撮影/住友一俊)

伏魔殿・JAL再生を
引き受けた稲盛の大義

 かねてからJAL会長への就任要請を受けていた稲盛和夫京セラ名誉会長はこれを受諾し、2010年2月1日にJALの会長に就任した。エリートぞろいで、頭でっかちで、実践の伴わないJALのような「大」企業は、稲盛がもっとも嫌うタイプの会社だった。

「あの組織は伏魔殿」、「きっと二次破綻する」、「稲盛さんは晩節を汚すことなる」といったさまざまな声を振り切って、なぜ稲盛はJAL再建引き受けたのだろうか。

稲盛 2009年の12月頃から、政府と企業再生支援機構のほうからJALの再建を会長として引き受けてくれないかという依頼がありました。

  私は航空運送事業についてはまったく素人と言いますか、何の知識も持っていなかったものですから、「適任ではないと思います」と言って何回も断りました。それでもみなさんが何回も何回も「どうしても」とおっしゃるものですから、次のように、考えるようになりました。

  まず、JALが倒産して再建がうまくいかなかったら、日本経済が非常に低迷している中で、日本の経済全体にも大きなダメージを与えるのではないか、と。
  次に、会社更生法に則って多くの社員の方々に辞めていただく計画になっていましたが、それでも3万2000名以上の社員が残るわけですから、その方々の雇用を守るということは、とても大事なことなのではないか。
  3つ目は、JALがなくなってしまうと、大手航空会社は1社になってしまうので、それでは日本の航空運輸産業が独占になってしまい、受益者である国民にとって決して良いことではない。やはり健全な会社が2社以上あって切磋琢磨する状態が望ましいのではないか、と。

  この3つの理由があって、お引き受けしたわけです。