ダイヤモンド社刊
2520円(税込)

「政府の役割は、社会のために意味ある決定と方向付けを行うことである。社会のエネルギーを結集することである。問題を浮かびあがらせることである。選択を提示することである」(ドラッカー名著集(7)『断絶の時代』)

 この政府の役割をドラッカーは統治と名づけ、実行とは両立しないと喝破した。「統治と実行を両立させようとすれば、統治の能力が麻痺する。しかも、決定のための機関に実行させても、貧弱な実行しかできない。それらの機関は、実行に焦点を合わせていない。体制がそうなっていない。そもそも関心が薄い」という。

 しかし、ここで企業の経験が役に立つ。企業は、これまでほぼ半世紀にわたって、統治と実行の両立に取り組んできた。その結果、両者は分離しなければならないということを知った。

 企業において、統治と実行の分離は、トップマネジメントの弱体化を意味するものではなかった。その意図は、トップマネジメントを強化することにあった。

 実行は現場ごとの目的の下にそれぞれの現場に任せ、トップが決定と方向付けに専念できるようにする。この企業で得られた原則を国に適用するならば、実行の任に当たる者は、政府以外の組織でなければならないことになる。

 政府の仕事について、これほど簡単な原則はない。しかし、これは、これまでの政治理論の下に政府が行ってきた仕事とは大いに異なる。

 これまでの理論では、政府は唯一無二の絶対の存在だった。しかも、社会の外の存在だった。だが、この原則の下においては、政府は社会の中の存在とならなければならない。ただし、中心的な存在とならなければならない。

 おまけに今日では、不得手な実行を政府に任せられるほどの財政的な余裕はない。時間の余裕も人手の余裕もない。

「この300年間、政治理論と社会理論は分離されてきた。しかしここで、この半世紀に組織について学んだことを、政府と社会に適用することになれば、この二つの理論が再び合体する。一方において、企業、大学、病院など非政府の組織が、成果を上げるための機関となる。他方において、政府が、社会の諸目的を決定するための機関となる。そして多様な組織の指揮者となる」(『断絶の時代』)