Photo by Yoriko Kato
東日本大震災の大津波で宮城県石巻市立大川小学校の児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった問題で、第三者による事故検証委員会が立ち上がって7ヵ月あまり。期待とは違う方向に検証が進むことに不信感を募らせていた遺族たちが、ついに、文科省へ意見書を持って乗り込む事態となった。
「最後の51分間を知りたい」
検証委が7ヵ月も放置するその真実
「検証委員会を傍聴しても、一切51分間の様子を議論していない。いつ話してくれるんだ?少しでもいいから、あの子たちの様子をもっともっと知りたい。本当に、(津波に)流されるまで、様子を知りたい。それなのに、なかなか(検証委が)核心に触れてくれない」
9月30日の午前、遺族のうち6人の父親が文部科学省を訪れ、義家弘介政務官に意見書の入った封書を手渡した。
<なぜ校庭に居続けたのか、遺族が知りたいのはそれだけである。51分間の真実を明らかにして欲しい>
下村文科大臣宛の意見書の見出しには、太字でしっかり、そう綴られている。
遺族は、今年2月から進められている事故検証委員会(委員長:室崎益輝神戸大名誉教授)について、検証が進むにつれ、その手法や検証内容、運営の姿勢に疑問を感じてきたという。
検証委の最終報告の予定は12月。時間が限られてくるなか、遺族の「知りたい」思いを叶える検証でないことに、遺族たちは焦りを感じている。
当連載でも触れてきた通り、検証が始まってからの7ヵ月あまり、検証委では一度も、子どもたちが津波に襲われるまでの約51分間に関する調査も、議論もされないままだ。
これまで検証委会合で報告された内容のうち、当日の状況について調査されたのは、当日の気象・余震状況、津波の来襲状況、教職員の対応状況となっている。
ただし、8月25日の第4回の検証委の時点では、最後まで現場にいた生存児童や教諭への聴き取りは行われておらず、遺族が望んでいる、子どもたちが校庭に居続けた51分間の核心についての調査は、後回しにされている。
検証委の会合は公開だが、実際にはほとんどの議論が非公開のメールや別会合で行われている。核心に迫る内容は途中の段階では全く共有されず、調査の進捗も知らされない。