先日、取引先と打ち合わせをしたときのこと。

 先方2人、当方2人の合計4人で、業務の打ち合わせの後、雑談をしていて、自分たちが何回線持っているかという話になった。その時の結論は、4人合計で、12回線。

 私自身は、通信業界を手伝う人間である。それゆえに回線契約には厳しくありたいと思い、できるだけ絞り込んでいるつもりだった。しかしその私をしても、手元には3回線ある。しかもノートPCにはモバイルWiMAXのモジュールが入っており、契約するだけで1回線追加できる状態だ。

 他の人も、スマホ1台、ガラケー1台、データ通信モジュール1台。さらにiPhoneとAndroidを1台ずつ持っている人もいた。この取引先は、通信産業とは異なる業界だが、それでもこれだけの回線契約に囲まれている。スマートフォンというけれど、この状況って全然スマートじゃないですね、とお互い苦笑いをしてしまった。

「果たして私たちはスマートになったのだろうか?」という問いは、多くの人の胸中に秘められているはずだ。回線契約に囲まれ、通信料金をたっぷり吸い上げられ、端末やサービスに振り回される毎日。私たちは本当に幸せなのだろうか。

 新しいiPadとiPad miniが発表され、来春に向けて新たなスマートフォンのモデルの話題も上がるようになってきた。しかしそんな喧噪を見ながら、ふとそんなことを考えてみたくなった。

隙間時間が「隙間でない時間」を侵食する

 スマートフォンがなかった時代のことを思い出すのは、もはやなかなか難しい。なんとか記憶をたぐると、スマートフォンを生活に取り込んだ直前に自分が使っていたのは、ノートPCとデータ通信モジュールである。まだ3G回線の高速化の途上で、添付ファイルのやりとりにも事欠く状況。回線費用も高く、社用でなければなかなか手が出せなかった。

 利便性も、現状に比べれば、いま一つ。オフィスではブロードバンドが普及していたこともあり、メールでやりとりされるファイルは巨大化していた。その一方で、時代はまだWebメールではなく、メールクライアントがPOPでメールをサーバに取りに行く。従って、ちょっと大きいファイルのやりとりをするには、オフィスに戻るか、さもなくば公衆無線LANを使うしかなかった。