国境を超えて活躍できる「グローバル人材」の育成が盛んに議論されている。「グローバル人材養成論」の類のマニュアル本が溢れ、DOLなどウェブ経済誌でもさまざまな論考が発表されている。グローバル人材の条件は主に「語学力」「コミュニケーション能力」「ネットワーキング能力」などとされ、その習得のためのノウハウが紹介されているものが多い。

 ただ、これらグローバル人材論の類には、違和感を持たざるを得ない。それは、突き詰めると「日本企業の『グローバル化』を成功させるためにどのような人材が必要か」という議論に終始しているからだ。筆者は、日本では「グローバル人材」の意味が誤解されていると考える。

日本での「グローバル化」は
古臭い「国際化」の焼き直しに過ぎない

 なにより、筆者は日本における「グローバル人材養成論」に、なんの新しさも感じない。筆者が初めて就職した約20年前に、「日本の国際化に必要な人材像」として散々議論された内容と、ほとんど同じだからだ。

 当時(1990年代前半)、高度経済成長を達成し先進国入りした日本は「国際化」を求められた。それは、ただ一方的に工業品を海外に輸出して利益を上げるだけでなく、国際的な通商ルールを守ってビジネスをし、経済力に見合った「国際貢献」を求められるものだった。そして、日本の「国際化」に資する人材が必要だと主張されたが、その人材像が「語学力」を持ち、海外で「コミュニケーション」ができる人だったものだ。

 日本企業などは、「国際化」のための施策をさまざまに打ち出した。筆者が入社した総合商社では、「国際総合企業」という目標が掲げられた。そして、なんと「社内英語公用語化」が打ち出されていたのである。これは全くの失敗に終わったが、約20年前に、楽天やファーストリテイリングと同じ様な英語公用語化への試みが構想されていたことは、今から考えると驚くべきことだ。

 また、日本企業などはさまざまな「国際化人材養成」の研修プログラムを開発していた。海外語学研修、海外実務研修、海外MBA留学などに多くの社員が派遣されたのである。例えば、入社2-3年目の若手を対象とする海外語学研修では、同期入社の5分の1である約4-50人が全世界の駐在事務所に派遣された(筆者には残念ながらその機会はなかったが)。