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田中均の「世界を見る眼」

富国強兵、国際貢献に続く新たなうねり
「第三の国際化」を進めずして日本再生はない

田中 均 [日本総合研究所国際戦略研究所理事長]
【 第23回】 2013年8月21日
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富国強兵のため外を向いた明治時代
外圧を受け国際貢献に迫られた1980年代

 先進国で日本ほど「国際化」の必要性が語られている国も珍しい。

 米国や欧州では経済の論理として国境の壁は著しく下がり、モノ、人、サービス、資本が縦横に動き回る。日本と同じ島国であっても、英国は世界を制覇した歴史の重みが残っており、ロンドン・シティの金融市場に象徴されるように、英国の視野は世界に広がる。

 現代の英国もユーロへの加入など、国家主権の制限には慎重であるが、移民政策や外国投資受け入れ政策などでは極めて開明的である。先進国の経済構造からして、マーケットを広くとり人を増やさなければ将来はないことが、長年にわたって認識されて来たからである。

 日本にはこれまで何回も「国際化」のうねりがあった。鎖国下の日本では選択的に外国の文化・技術を取り入れてきたが、1853年のペリー提督の来航を通じる米国の強い圧力のもと、開国を余儀なくされた。

 その後、明治4年から2年にわたった岩倉具視ほか閣僚の半分をメンバーとした遣米欧使節団は富国強兵を唱え、欧米列強から文化・技術を大幅に取り入れる政策に踏み切った。

 これが日本の国際化の第一のうねりなのだろう。しかしこの「国際化」も、国境の垣根を下げ、自然な交流を図るということではなく、富国強兵政策に必要な技術の取得という色彩が強かった。

 終戦後の日本は国内経済再建に邁進したが、「国際化」の第二のうねりは1980年代である。この際には、国際化というよりむしろ「国際貢献」という掛け声のもとに国を開き、外国に出ていくという概念であった。

 世界第二の経済大国となった日本は、米国との膨大な貿易黒字と米国議会の強い反発を受け、市場開放を進めざるを得なくなる。

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田中 均 [日本総合研究所国際戦略研究所理事長]

1947年生まれ。京都府出身。京都大学法学部卒業。株式会社日本総合研究所国際戦略研究所理事長、公益財団法人日本国際交流センターシニアフェロー、東京大学公共政策大学院客員教授。1969年外務省入省。北米局北米第一課首席事務官、北米局北米第二課長、アジア局北東アジア課長、北米局審議官、経済局長、アジア大洋州局長、外務審議官(政策担当)などを歴任。小泉政権では2002年に首相訪朝を実現させる。外交・安全保障、政治、経済に広く精通し、政策通の論客として知られる。

 


田中均の「世界を見る眼」

西側先進国の衰退や新興国の台頭など、従来とは異なるフェーズに入った世界情勢。とりわけ中国が発言力を増すアジアにおいて、日本は新たな外交・安全保障の枠組み作りを迫られている。自民党政権で、長らく北米やアジア・太平洋地域との外交に携わり、「外務省きっての政策通」として知られた田中 均・日本総研国際戦略研究所理事長が、来るべき国際社会のあり方と日本が進むべき道について提言する。

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