レーガン政権の圧力に、
日本は逆らえなかった

 1948年、関税・貿易に関する一般協定が結ばれます。General Agreement on Tariffs and Trade の頭文字からGATT(ガット)と呼ばれるようになりました。

 その結果、多国間交渉で段階を踏んで関税を引き下げていくことになりました。日本が参加したのは1955年からで、牛肉とオレンジの輸入自由化が決まったのは、ウルグアイ・ラウンド(1986~1995年)です。

 1980年代、アメリカは対日貿易赤字が500億ドルを超え、外交問題になっていました。レーガン政権は、プラザ合意で円高ドル安へ誘導してアメリカの輸出を有利にする一方、日本政府にも「牛肉とオレンジに関する輸入数量の制限はGATT違反だ」と直接圧力をかけてきました。

 その結果、日本政府は圧力に屈し、牛肉とオレンジの輸入数量制限を撤廃しました。