「やられたらやり返す、倍返しだ!」
半沢直樹の生き方は本当に合理的か?
マレーシアの国教はイスラム教だが、他の宗教にも寛容で、クリスマスは休日となり、その前後に多くの人は休暇をとるため、欧米と同様のビッグホリディ・シーズンとなる。
筆者もその間に、しばしの休暇をとることができた。ちょうど日本を出るタイミングだったために見逃していたドラマ『半沢直樹』(TBS系)のDVDを購入し、遅ればせながら全話観ることができた。あまりに面白かったので、原作本2冊だけでなく、続編の『ロスジェネの逆襲』まで読んでしまった。
このドラマ、および原作の面白さは、それこそ何百というブログやサイトで紹介されていて、筆者もそれらに賛同する。自己保身のために悪巧みをし、半沢を陥れようとする勢力に対し、知恵と努力と仲間の協力で「倍返し」をする痛快さが、このドラマの真骨頂だろう。
ただ、一視聴者ではなく心理学者としてこのドラマを観ると、また別の面白さを見出せる。
それは半沢の行動規範「やられたらやり返す、倍返しだ!」が、本当に生き残るための術となり得るのかどうかという問題だ。
面白いことに、原作者の池井戸潤氏自身が『週刊ダイヤモンド』のインタビューにて「実社会で半沢のように振る舞ったら首になる」ということを述べているし、ドラマの出演者や製作者のインタビューにも、同様のコメントが見られる。
確かに、ドラマのように外連味たっぷりに相手を挑発し、最後に見事にやっつけるというようなことをやれば、半沢の主張以前にそのやり方への反発が大きくなり、組織の中で出世することは難しくなるだろう。
しかし、それを差し引いて考えれば、半沢の行動規範そのものは、実はそれほど不利ではない。むしろ有利になることさえあるというのが、筆者の見解だ。その理由を述べてみたい。