ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

大正・昭和戦前の日蓄(コロムビア)は米国人社長の
大M&A戦略で成長したが1935年に英米資本離脱

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第43回】 2014年1月10日
著者・コラム紹介バックナンバー
1
nextpage

日本コロムビアはわが国最古のレコード会社である。本田美奈子さんが全精力を傾けてクラシック・アルバムを残した会社が日本コロムビアだった。本田美奈子さんのクラシカル・クロスオーバーのアルバムは、すべて日本コロムビアから発売されている。プロデューサーの岡野博行さんとの出会いが2002年8月、第1アルバム「Ave Maria」は2003年5月、第2アルバム「時」は2004年11月に発売されている。生前最後のアルバム「時」発売から2014年11月で10周年を迎えることになる。

初代社長ホーンの時代

 2005年11月に本田さんは急死し、制作中だった第3アルバムのために録音していた曲や未発表だった録音を中心に追悼盤「心を込めて…」が発売されたのは2006年4月だった。

 本田さんは日本初のポピュラーソング「カチューシャの唄」(1914)が誕生した帝国劇場でミュージカルにデビューし(1992)、日本最古のレコード会社、日本コロムビア(1910創業)で歌手人生最後のアルバムをリリースしたのである。

前回、音楽産業100年のイノベーションを俯瞰するなかで、日本のレコード会社の草創期を概観した。今回はさらに資本の移動を含めて細部を見てみる。レコード会社の所有者(大株主)の移動は激しく、だんだん詳細がわからなくなってくるので、ここに記録しておきたい。

 「合同蓄音器は日本蓄音器商会(日蓄)の傘下の会社なので、日蓄の市場支配力がわかる。前年の1927年に日蓄は米国コロムビアの洋楽盤を国内プレスすることになり、『日本コロムビア工場』という会社(工場)を川﨑に設立している。その後の主力工場となったものだ」、と書いたが、社名は「日本コロムビア蓄音器」だった。引用した文献の表記が違っていたようだ。訂正します。

 1910年の創業から20年代を通して、日本コロムビアの前身、日蓄は初期レコード産業を主導していた。

 社名は日本蓄音器商会のままだったが、「コロムビア」の名称は1927年から使い、巷間に広く行きわたっている。この年から外国企業、コロムビア傘下の会社となったからだ。

 『日蓄(コロムビア)三十年史』(日本蓄音器商会、1940)に準拠して創業から1930年代までの歴史をまとめてみる。

 1910(明治43)年10月1日、株式会社日本蓄音器商会設立、社長F.W.ホーン。資本金は35万円。ホーンの全額出資かどうかは不明。ホーンは1907年に日米蓄音機製造を設立し、輸入販売を行なっていた(こちらの社名は蓄音「機」である)。日蓄の本社は東京市銀座1丁目。

 初代社長ホーンはアメリカ人で、1896(明治29)年に来日している。生年はわからない。近代資本主義に乗り出したばかりの極東の小国で一旗揚げようという野心があったのだろう。横浜共同電燈の社員、榎本萬里に出会い、いっしょに機械工具の輸入商社、ホーン商会を始める。翌97年には蝋管蓄音器(グラフォフォン)を、さらに円盤式蓄音器(グラモフォン)とレコードの輸入販売を行なった。横浜共同電燈は1899年に設立された電力会社である。当時、電力会社は自由に設立できた。

1
nextpage
関連記事
スペシャル・インフォメーションPR
クチコミ・コメント

DOL PREMIUM

PR
【デジタル変革の現場】

企業のデジタル変革
最先端レポート

先進企業が取り組むデジタル・トランスフォーメーションと、それを支えるITとは。

経営戦略最新記事» トップページを見る

最新ビジネスニュース

Reuters

注目のトピックスPR

話題の記事

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

⇒バックナンバー一覧