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森達也 リアル共同幻想論

NHKよ、政府が右と言っても
左と言える存在であってくれ

森 達也 [テレビディレクター、映画監督、作家]
【第75回】 2014年3月27日
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見た目が傲岸不遜な僕はテレビに出てもマイナスしかない

 時おり自分が政治や社会についての評論家になってしまっているような気分になる。理由は明らかだ。このところ政治や社会についての言及が、とても多くなっているからだ。

 この連載だけではない。たまには新聞などに寄稿するし、事件や騒動についてのコメントを求められることもある(ただし不思議なことに『A3』発表後、オウムについてはほとんど求められなくなった)。年に一回か二回はテレビにも出る。ほとんどの場合はNHKだ。別に選んでいるつもりはないけれど、民放の場合はオンエアを観てから出るべきじゃなかったと落ち込むことが多い。かつてテレビのディレクターをやっていたのだからもっと賢くていいはずだと自分でも思うけれど、結局は失敗する。学習能力がないのだろう。だから民放の場合は、ディレクターやプロデューサーとできるだけコミュニケーションをしてから出演するかどうかを決める。それでも後悔する場合がある。

 数年前まではテレビからの依頼を断ることは滅多になかった。なぜならば本や映画の宣伝になると思っていたからだ。

 発表するからには一人でも多くの人に読んでほしいし観てほしい。当然ながらそう思う。要するにパブリシティだ。でも最近はそのモチベーションも消えた。テレビに出ても本の売上げや映画の動員にはほとんど関係がないことがわかってきたからだ。いや僕の場合はむしろマイナスかもしれない。そもそも不細工なうえに仏頂面だ。しかもオウムとか放送禁止とか右翼とか、何となく過激なイメージが先行している。テレビ画面を見た人から好感を持たれることはまずない。見た目が傲岸不遜なのだ。自分ですらそう思うのだから、他人はもっと反感を持つだろう。もしかしたらそんなイメージも、評論家的な雰囲気を醸成しているのかもしれない。

 ただし冒頭に書いたように、あくまでも「気分」だ。少なくとも「評論」と位置づけられる仕事はしていない。そもそも無理だ。その資質も感性もないし訓練もしていない。僕の肩書きを敢えて総称すれば、表現行為従事者ということになる。

 でも政治や社会についての発言を抑制するつもりはない。表現者は政治や社会問題とは距離を置くべきであるとの意見を時おり目にするけれど、同意するつもりはまったくない。もっといえば、政治や社会から切り離された表現についての興味などほとんどない。

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森 達也 [テレビディレクター、映画監督、作家]

1956年生まれ。テレビディレクター、映画監督、作家。ドキュメンタリー映画『A』『A2』で大きな評価を受ける。著書に『東京番外地』など多数。


森達也 リアル共同幻想論

テレビディレクター、映画監督、作家として活躍中の森達也氏による社会派コラム。社会問題から時事テーマまで、独自の視点で鋭く斬る!

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