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“ヤメソニー”が語り継ぐものづくりの魂

【“ヤメソニー”インタビュー第4回】
ソニースピリッツで2年後の流行をつくる
——山本喜則・東和電子社長

ダイヤモンド・オンライン編集部
【第4回】 2014年4月22日
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執行役員SVPとしてオーディオ事業や部品事業を率いていた山本喜則氏はいま、東和電子の社長として大手エレクトロニクスメーカーからの設計請け負い事業と、「Olasonic」というスピーカーブランドなどの自社製品の製造販売事業を率いる。ソニーという巨大企業では経験できなかった苦労にも直面するが、チャレンジできる環境に身を置くことができ、ソニーを飛び出して良かったと話す。山本氏に東和電子のビジネスと今のソニーに対する想いを伺った。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集部 片田江康男)

ソニーから東和電子に移って
すぐに直面したリーマンショック

やまもと・よしのり
1973年ソニー入社。テープレコーダー設計課に配属。業務執行役員SVPとしてオーディオ事業本部長、部品事業本部長などを歴任。2008年にソニー退職後、同年9月に東和電子に入社。後に取締役社長に就任。2010年、「Olasonic」を立ち上げる。
Photo:DOL

――東和電子のビジネスを教えてください。

 いわゆる設計会社です。プリント基盤や回路の設計を請け負っています。試作品をお客さま企業に短期間で納品することもうちの強みです。ソニーさんは、うちのナンバーワンクライアントですね。

 東和電子のエンジニアがソニーの開発部隊のなかに入らせていただいて、開発をお手伝いすることも多いですね。なかには、うちに入社しても、ほとんどソニーに行ったきりで、こちらの開発拠点にはほとんど来ないという人もいます。

 2000年頃はエレクトロニクス事業も調子が良かったですから、エンジニアが足らないということで、ソニーだけではなくて大手企業は、ワンポイントで設計エンジニアの応援を頼むということもありました。

――山本社長はソニーを辞めて、08年9月に東和電子に移られていますね。

 はい、いろいろな経緯があったんですが、08年9月に取締役として入社しました。私のソニー時代の後半のほうで、東和電子に設計をお願いする方の立場でした。

 しかし、こちらに移って翌月の10月に、リーマンショックが起こったんですよ。どこもそうなんですが、大手メーカーは急速に業績が悪くなって、そうすると真っ先にやるのが請け負い業者を削減する。したがって、東和電子でソニーに入り込んでいたエンジニアは仕事がなくなってしまいました。

 リーマンショックの直前は、東和電子も過去最高の業績を上げていました。それはどこもそうだと思うんですが、急に仕事が激減してしまったんです。

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ソニーを飛び出し事業を興す“ヤメソニー”たち。共通するのはものづくりへのこだわりや、面白いものを作ろうというソニーDNAを体現しようと挑戦している点だ。ソニー本体は、業績は振るわず、業績改善のための構造改革(リストラ)が毎年のように行われている。財務改善のためにかつての「ソニー村」は売却され、いつしかソニーからは、ソニーの魂とも言うべきソニーDNAさえも消えつつある。ヤメソニーたちは、ソニーがそんな状態だからこそ、あえて外に出て、ソニーDNAを抱きながら事業創造に邁進する。そんなヤメソニーたちの奮闘と葛藤を紹介する。

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