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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

直立不動、燕尾服で「赤城の子守唄」を歌う
東海林太郎の登場(1933)

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第50回】 2014年5月2日
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1954年生まれの筆者が記憶している東海林太郎(1898-1972)は、テレビのナツメロ番組で「赤城の子守唄」や「国境の町」を直立不動で歌う高齢な歌手の姿だ。あれはいつだったのか、「ナツメロ」という言葉が生まれていたはずなので、番組名は「懐かしのメロディー」だと思い、調べてみたが、ない。正しくはテレビ東京が1968年から74年まで放映した「なつかしの歌声」という番組だった。また、69年からはNHKが毎年8月に「思い出のメロディー」を放送している。

記憶していた図像は晩年の姿

 「思い出のメロディー」は現在も続いているそうで、どうやら両方の番組がいっしょになって記憶されていたようだ。つまり、「なつかしの歌声」と「思い出のメロディー」が「なつかしのメロディー」として頭の中で合成されていたのである。テレビ東京の「なつかしの歌声」もその後、1992年から2007年まで「お昭和歌謡大全集」、2008年以降は「懐かしの昭和メロディー」として、断続的に放送されているそうだ。

「スウィング・パラダイス」(ユニバーサル、2014)

 「ニッポン・モダンタイムス・シリーズ~スウィング・パラダイス」(2枚組、ユニバーサル、2014)、東海林太郎の洋楽が4曲収録されている

 直立不動、黒い燕尾服で歌う東海林太郎は1972年に亡くなっているので、筆者の記憶は中学生か高校生のころ、70年前後にテレビで見た姿なのだろう。時代錯誤な衣裳、といより声楽家の正装で歌う「赤城山の子守唄」は晩年の姿だった。

「決定版 東海林太郎」(キングレコード、2011)、代表的な作品集

 生真面目な歌手という印象だが、藤山一郎(1911-93)も真面目な印象だったが、東京音楽学校(芸大)出身者らしいプライドの高さを隠さず、高貴な明るさを発散していた。

 一方、東海林太郎は声楽とはほど遠く、独流の歌唱法によるユニークな声質だったと思っていた。よく透る声だが、音程が当たるような当たらないような、コブシを入れているような楽譜どおりのような、微妙な危うさとはかなさがあった。声は頭に通し、声楽の発声法ではある。しかし藤山一郎のような輝かしさはない。ハスキーボイスも使う。ほぼ無表情であり、姿勢を崩さない。もう現在では一人も存在しないスタイルだった。

 戦前の全盛期を知らず、70歳前後で歌う「赤城の子守唄」と「国境の町」を見ていたので、奇妙なアナクロ感とともに彼の図像だけが残っている。しかし、1枚のCDを聴いて、大きな誤解だと気が付いた。

甘く流麗な洋楽ポップスも録音していた

 そのCDとは、「ニッポン・モダンタイムス・シリーズ~スウィング・パラダイス」(2枚組、ユニバーサル、2014)で、今年2月に発売されたものだ。1930年代にポリドールが録音した当時のジャズ(洋楽ポップス)で、歌手は東海林太郎、藤山一郎、榎本健一、淡谷のり子といった流行歌手である。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

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