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野中郁次郎のリーダーシップ論 ― 史上最大の決断

Dデイ70周年~史上最大の作戦の意義

野中郁次郎 [一橋大学名誉教授]
【第2回】 2014年6月6日
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6月6日は「Dデイ」と呼ばれる。人類史上最大の上陸作戦が行われたこの日から今年は70年の節目にあたる。当日フランスで開催される記念式典には、上陸の地であるフランスのオランド大統領を始め、オバマ米大統領、イギリスのエリザベス女王ら旧連合国の首脳が出席する予定だ。こうして改めて、米英仏の首脳が一堂に会するのも、この日からの戦いがナチス・ドイツを打倒するうえで決定的な転機になったからである。今回は、この空前絶後の大プロジェクトの様子と意義を論じてみたい。

連合軍最大の
オーバーロード作戦

 「Dデイ」とはもともとは作戦の実行日を意味する言葉だった。

一橋大学名誉教授 野中郁次郎

 アメリカ陸軍の説明によれば(*1)、第1次世界大戦で欧州に派遣された遠征軍の第1軍が、フランス北西部のサン・ミッシェルで一大攻勢に出た1918年9月7日が初めてのDデイとして記録されている。

 しかし今では、Dデイといえばノルマンディー上陸戦が敢行された日、というのが一般的な理解となっている。

 連合軍最高司令官であるアイゼンハワーにとって、「オーバーロード〈大君主〉」という作戦名で呼ばれたノルマンディー上陸作戦において、いつフランスの海岸に上陸するのかという日時の決定は、もっとも重い決断となった。

 オーバーロード作戦は、作戦の立案から決行まで、2年2ヵ月を費やしている。その間、米英間で、作戦を巡るさまざまな駆け引きが続いていた。

テヘラン会談(1943年11月)
左からスターリン、ルーズベルト、チャーチル

 そこにはソ連のスターリンの思惑も絡んでいた。ナチス・ドイツはフランスを制した1年後の1941年9月にソ連に攻め込んだ。以来、ソ連は東部戦線で苦しい戦いをひとり強いられており、第2戦線の開設を執拗に訴えていたのである。

 43年11月、米英ソの3巨頭が会したテヘランで、スターリンは翌44年の5月か6月に西欧での上陸戦を開始するよう強く要求した。それを受けたルーズベルトが、初めて「5月1日」という具体的な期日を口にした。これが最初のDデイ予定日である。

 Dデイの設定において、具体的に検討しなければならないことは山のようにあった。とりわけ重要だったのが、気象条件である。もし海が荒れていたりすれば、上陸部隊は海の藻屑と化してしまう。上陸作戦を考えるうえで、月齢と潮の干満、そして日の出という3つの要素がうまく揃う必要があった。

 イギリス(英仏)海峡を熟知していたイギリスのラムゼー提督とアイゼンハワーは話し合い、Dデイを5月1日にすることで合意し上申していたのだった。

(*1) アメリカ陸軍「Dデイ」

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野中郁次郎 [一橋大学名誉教授]

1935年東京生まれ。早稲田大学特命教授。58年早稲田大学政治経済学部卒業後、富士電機勤務を経て、カルフォルニア大学バークレー校経営大学院博士課程修了(Ph.D)。南山大学、防衛大学校、一橋大学、北陸先端科学技術大学院大学、一橋大学大学院国際企業戦略研究科で教鞭を執る。紫綬褒章、瑞宝中綬章受章。知識創造理論の提唱者であり、ナレッジ・マネジメントの世界的権威として、米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」でアジアから唯一選出された。さらに2013年11月には最も影響力のある経営思想家50人を選ぶThinkers50のLifetime Achievement Award(生涯業績賞、功労賞)を受賞。近年は企業経営にとどまらず、地域コミュニティから国家までさまざまな組織レベルでのリーダーシップや経営のあり方にも研究の場を広げている。主な著作に、『失敗の本質』(ダイヤモンド社)、『アメリカ海兵隊』(中央公論新社)、『知識創造企業』(東洋経済新報社)など。

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野中郁次郎のリーダーシップ論 ― 史上最大の決断

『失敗の本質』から30年。経営学の世界的権威・野中郁次郎が、リーダーシップ研究の集大成の対象に選んだのは、「凡人たる非凡人」にして第2次大戦の活路を拓いた連合軍最高指揮官アイゼンハワー。「史上最大の作戦」で発揮された意思決定(Judgement)の本質を説く。

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