波紋広げる都議会のセクハラ問題
「隠した失敗」の成長法則とは?
東京都議会で質問中の塩村文夏都議(みんなの党会派)に対して、「結婚した方がいいんじゃないのか」「産めないのか」などのやじを飛ばした議員がいた問題が、日に日に大きな関心を集めて、ついに23日には自由民主党の鈴木章浩都議が、自分が野次を飛ばした事実を認めた。
問題とされたやじは、一般的な基準に照らして明らかに「セクハラ」(セクシャルハラスメント/性的な嫌がらせ)と認められる内容であり、これをセクハラでないと言い張ることは100%無理だ。
鈴木都議も発言の問題を認めて謝罪したが、果たしてこれはどのくらいの償いが適当な罪なのかは、議論が分かれるところだ。
もっとも今回の鈴木都議は、当初自分の発言の事実を否定しており、問題が大きくなった後に、発言の事実を認めた経緯がある。発言だけが問題だったのではなく、その後の処理にミスがあったことが傷を深めた。
鈴木都議が冷静に先の展開を読めば、あるいは「隠そうとした失敗は、隠せない大きさまで育つ」という「隠した失敗の成長法則」を知っていれば、問題をここまで大きくせずに処理できた可能性があった。
仮定の話だが、問題が起きた当日に、鈴木都議が自らの発言を認め、塩村都議に誠意を持って謝罪すると共に反省の弁を述べていたら、ここまで問題が大きくならなかった公算が大きい。あくまでも被害者である塩村都議が謝罪に納得すればだが、彼女が鈴木都議の謝罪を受け入れて、処分云々といった問題にはならなかった可能性がある。これは、最も穏当な「大人の解決」の1つだったろう。
ただし、この問題の難しい点は、塩村議員に「許すべきだ」とは道義的には誰も言えないし、逆に塩村議員が「許す」と言うなら、そこで問題が収束に向かう公算が大きいことだ。