ソーシャルイノベーターの総力戦
2004年プロ野球史上初のストライキ

 こんにちは鈴木寛です。

 サッカーW杯ブラジル大会はドイツがアルゼンチンを下し、24年ぶり4度目の栄冠を勝ち取りました。前回のコラムで書いた通り、世界3大リーグの母国であるイングランド、スペイン、イタリアがグループリーグで敗退したなかで、自国選手の育成を着実に行ってきたドイツが優勝したことは、サッカー界の潮目が変わる契機となるでしょう。

 W杯が終われば、今年のスポーツの残りの見所は野球です。高校野球の地方大会が開幕し、プロ野球はオールスターが終わって後半戦に入りました。そんな野球シーズンもたけなわの先日、都内で懐かしい面々が集いました。

 楽天球団が誕生するきっかけとなったプロ野球ストライキから今年でちょうど10年。その“仕掛人”たちが集まって同窓会を開き、ブラジルから帰国したばかりの私も参加し、スト当時の選手会長だった古田敦也さん、後に楽天球団で創業メンバーを統率した小澤隆生さん(現ヤフー執行役員)、はじめ私の多くの教え子のみなさんらと旧交を温めました。その席で古田さんからは「みなさんがプロ野球を救ってくれた。ありがとうございました」と厚く御礼いただきました。

 ストライキから10年経ちますし、当時は政治家だった私がなぜ「同窓生」に名を連ねたのか不思議に思う方もいると思います。三木谷さんは球団のオフィシャルブック等で「プロ野球界は日本社会の縮図。旧体制の仕組みのなかで、改革のエネルギーを失い、衰退しようとしている」と指摘していますが、大新聞社や伝統的企業を親会社とする旧勢力との戦いを勝ち抜き、12球団体制を維持、新興企業の球界参入を実現するには、スポーツが政治とビジネスの担い手とタッグを組んで知恵を絞り、古田敦也という名将を支える必要がありました。まさにソーシャルイノベーターたちの総力戦です。

 ちょうど節目の年を迎えたこと、戦後の日本社会、日本経済の転換点を象徴する事件としての歴史的意義を鑑み、初めて明らかにする話も含めてプロ野球史上初のストライキ事件を振り返ります。