16歳の女子高生が同級生を殺害し、遺体を損壊するという衝撃的な事件に、日本中の視線が向けられている。事件の衝撃もさることながら、足もとで改めて議論されているのが、少年事件をめぐる法の解釈や報道のあり方である。有識者の声を基に、我々が「佐世保女子高生殺害事件」のニュースに対して覚える違和感や疑問について、様々な視点から検証したい。(取材・文・池田園子/編集協力・プレスラボ)

法の解釈や報道のあり方に議論噴出
佐世保女子高生殺害事件のインパクト

 いったいなぜ、これほど悲惨な事件が起きてしまったのか――。長崎県北部に位置する海と山に囲まれた美しい港町・佐世保市に、いま日本中の視線が向けられている。

 佐世保市のマンションで7月27日、県立高校1年の女子生徒(15)が殺害された状態で発見された。同日逮捕された加害少女は、被害少女と同じ高校に通うクラスメート(16)。世間に大きな衝撃と動揺を与えたのは、遺体の首と手首を切断し、さらに腹部を切り裂くという残忍な殺害方法や、加害少女が警察の調べに対して行った「人を殺してみたかった」「解体してみたかった」という猟奇的な供述内容である。

 佐世保市では2004年、市立小学校で当時6年生の女子児童が同級生の女子児童にカッターナイフで切り付けられ、死亡するという痛ましい事件も起きている。それ以来、二度と同じような事件が起きないようにと、子どもたちへの「命の教育」に力を入れて来た教育関係者の落胆は、ことのほか大きい。

 事件の衝撃もさることながら、足もとで改めて議論されているのが、少年事件をめぐる法の解釈や報道のあり方である。

 過去に起きた少年事件と同様、今回もマスメディアは少年法の精神に照らして、加害少女の氏名や顔写真を掲載せず、「女子高生」「高校1年生の女子生徒」「少女A」「16才の女子高生・A子」などと報道している。一方で、特に初期報道においては、被害少女の氏名や顔写真が大きく報道された。