人生を変えた、バングラデシュとペルーでの海外経験

出雲 ありがとうございます。ミドリムシとの出会いを振り返る時、私が大学1年生の頃、バングラデシュで抱いた「世界の食料問題を解決したい」という想いは忘れられないものでした。それが原動力になって大学3年生でミドリムシに出会って以来、ずっとミドリムシ一筋でした。ミドリムシと自分の人生が重なっていくにつれ、不思議と出会う人が素敵な方ばかりになってきました。お金儲けだけが目当ての、悪い人がひとりも寄ってこなくなったんです。それが自分の仕事のモチベーションにもなりますし、何より今回、先生ともこうしてミドリムシを通してお会いできたことを嬉しく思っています。

松久 あの……照れますので“先生”はやめにしませんか?
 海外といえば僕は23歳の時、17歳から寿司職人を志して修業していた新宿の松栄鮨から初めてペルーへと渡り、寿司屋を開店しました。今から約40年前のことです。本にも書いた「ペルー リマ 松栄鮨」です。ペルーの文化では、仕入れる魚の値段も交渉で決まります。100円のものなら「まず30円」から始まる世界です。ユーモラスなやりとりをしながら最後には50円になるような商売のやり方に、カルチャーショックを受けました。

包丁一本の料理人と、試験管一本の研究者が語る情熱と哲学<前半>

松久信幸(まつひさ・のぶゆき)[「NOBU」「Matsuhisa」オーナーシェフ]1949年、埼玉県で材木商の三男として生まれ、父を7歳の時に交通事故で亡くす。14歳の時に兄にはじめて連れていってもらった寿司屋でその雰囲気とエネルギーに魅了され、寿司職人になると心に決める。東京の寿司屋での修業後、海外に出てペルー、アルゼンチン、アメリカでの経験を基に、和をベースに南米や欧米のエッセンスを取り入れたNOBUスタイルの料理を確立した。
1987年、アメリカ・ロサンゼルスにMatsuhisaを開店。ハリウッドの著名人たちを魅了し大人気となる。1994年、俳優ロバート・デ・ニーロの誘いに応えNOBU New Yorkを開店。さらに、グローバルに展開し次々と店を成功に導く。2013年4月、ラスベガスにNOBU Hotelをオープン。2014年現在、5大陸に30数店舗を構え、和食を世界の人々に味わってもらおうと各国を飛び回っている。
主な著書に、『Nobu the Cookbook』『nobu miami THE PARTY COOKBOOK』(以上、講談社インターナショナル)、『nobu』(柴田書店)、『NOBUのすし』(世界文化社)などがある。

 ある時、魚を仕入れようとカポンという通りを歩いていると、ペルーでは見かけないアナゴに出会いました。日本では寿司や蒲焼きや天ぷらにする高級食材ですが、当時のペルーではその美味は知られておらず、無価値な魚だと思われていたのです。僕はなんとかして手に入れようと悪知恵を働かせて「日本から犬を連れてきているんだけど、そいつがアナゴが大好きで。でもずっと食べさせていなかったからホームシックになっているんだ」なんて交渉しました。すると漁師は「そういうことなら明日また来い」と言って、翌日、タダ同然で大量のアナゴを譲ってくれたのです。

出雲 私も大笑いしながら拝読しましたが、先生の一件をきっかけに、今やペルーはアナゴの輸出国になっているわけですから、すばらしいペルー貢献ですよね。

松久 偶然ですよ。あのアナゴが本当に海外に輸出できるなんていうことは、当時は僕を含め、誰も予測できていません。偶然あの周囲の海域はアナゴの生息に適していたんです。面白いことです。