かつて『世界』に「葬送譜」を連載していた。亡くなった人を悼むコラムである。そこで木下恵介は取り上げたが、黒澤明は見送った。同じ映画監督の巨匠でも、好みとして私は木下に惹かれる。もちろん、木下の弟子の山田太一を通じて木下とは会ったことがあるからにもよる。
銀座のママで作詞家で小説家
いい女を束ねる気っぷのいい姐さん
最近、同じ山口姓の、淑子と洋子が続けて亡くなった。後者の洋子とは親交があり、近年、彼女がパーキンソン病で苦しんでいたことを知っていたので、「ああ」と思った。いつかはとは覚悟していたが、喪失感は深い。
城山三郎は知人の作家が亡くなると、その人の主著を読み返して追悼するのを常としていた。
私もそれに倣い、山口洋子の『夜の底に生きる』(新潮社)を取り出した。その解説に、直木賞の選考の席で、ある選考委員が、「世の中には凄い人がいる。店をやらせれば、一流に仕上げるし、作詞をやらせればヒットさせ、小説を書いたらすぐ賞をとってしまう」と感嘆したとある。
もちろん、「店」とは銀座の「姫」のことだし、作詞は五木ひろしの『よこはま・たそがれ』や中条きよしの『うそ』、そして小説は『演歌の虫』や『老梅』である。
しかし、私にとっては「凄い人」というより、気っぷのいい姐さんだった。1999年に対談して(『パンプキン』10月号)、次のような「後記」を頂戴したからである。
<シャイな方である。そのシャイが何とも素敵で、ダンディにみえる。昨今稀なる辛口の論客。むろんお会いする前から十分存じあげていたし、ご著書のファンでもあった。そのご当人とさるところでばったりと遭遇(正直あまり色っぽくない場所なので、単に銀座某所とのみ申し上げたい)私のほうから声をかけさせていただいた。
その後、本のやりとりなどで文通、ますますのめりこみ、いまや立派な佐高ファンクラブの正会員である。お会いしてあまりのうれしさに逆上興奮、一方通行でしゃべりまくってしまったけど、ごめんなさい。お聞きするところによると、伍代夏子さんがいいとおっしゃった。「え、伍代夏子!もしかしたら佐高さんマザコン?」などとまったく意味不明のことを口走り、「ええそうかも…」とちょいとはにかまれたところがまたよくて…>