アメリカのITバブル、不動産バブルが崩壊し、リーマン・ショックを引き金に世界同時不況へと陥った世界経済。なぜバブルは弾けたのか? わかっているようでなかなか説明できない、2000年代の混迷する世界の経済史を、代ゼミの人気№1講師が面白く教える、社会人のための学びなおし講義。
なぜ、親分のもとに世界中から投機資金が流れ込んだのか?
2000年代のアメリカのITバブルに触れる前に、1990年代の時代背景について少し振り返ってみよう。
1993年に大統領となったクリントンは、レーガン ─ ブッシュと続いた財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」路線から決別し、“アメリカ経済の再生”をめざした。クリントンは、高額所得者に対する所得税増税などを実施して財政赤字の削減をめざす一方、産業構造を「製造業や重工業中心」から「金融やIT中心」へとシフトしていった。その結果、アメリカで活躍する企業は、「GMよりもメリルリンチやヘッジファンド」になり、アメリカのイメージは大きく変わった。
そうなると、アメリカは輸出メインの国ではなくなる。だからアメリカは、ドル安よりむしろドル高の方が儲かるとの判断が生まれ、1995年から久々にドル高政策が実行された。
つまり、「ドル高=アメリカの株式や債券の価値が高い」だから、そうなると外国の投資家もアメリカの株や国債をほしがるようになり、結果的に世界中の投機マネーがアメリカに集まってくるという寸法だ。
そして、そんな流れの中で、「ITバブル」も発生した。ITバブルの流れそのものが生まれたのは、ちょうどクリントン政権発足と同じ時期だ。アメリカでは1993年から今日型のウェブサイトが登場し、1994年にはネット上の仮想書店アマゾンがeコマース(電子商取引)の先駆として現れた。そして1995年には「Windows95」の発売とネット株取引が始まり、ここで一気に火が点いた。
ちょうどアメリカでドル高政策が始まったのもこの時期だから、この流れで世界中の人々が、新しいツールであるインターネットを通じて成長産業であるIT企業の株を買い、アメリカに投機資金を集中させ始めたことになる。
さらにこの後、パソコンがさらに安価になり、パソコンユーザー数とウェブサイトの数は急増していった。しかも1997年には“異端の天才”スティーブ・ジョブズがアップルに復帰し、ITへの注目と期待は高まる一方となった。
そしてそんな中、1997年のアジア通貨危機と1998年のLTCM(大手ヘッジファンド)破綻などで、行き場を失った投機マネーが世界中にあふれ始めた。しかもその時期には、アメリカで低金利政策も始まった。
もうここまで条件が整えば、ITでバブルにならないはずがない。結局、1999から2000年にかけてIT関連ベンチャーの株価が急上昇し、アメリカでは「ITのおかげで“インフレなき経済成長”が半永久的に続く」という「ニューエコノミー論」が囁かれるに至ったのだ。
確かにIT化が進めば、人減らしやオフィス縮小が可能になって企業のコストが削減され、商品代を安く(インフレなしに)抑えることができる。しかもその企業を人員整理でクビになった労働者も、世の中ではIT関連の別企業がどんどん生まれ続けているから、すぐに新たな雇用にありつくことができる。なるほど、この通りいくなら確かに“インフレなき経済成長”だ。
しかし、アラン・グリーンスパン議長(米中央銀行制度であるFRB〈連邦準備制度理事会〉議長)は、この頃アメリカの状況を“根拠なき熱狂”と呼び、日本のバブルと同種のものである可能性を警戒していた。
だから彼は、景気の過度の過熱を恐れて、2001年にアメリカの公定歩合にあたるフェデラルファンド金利を上昇させた。そしてその年、エンロンの破綻、9.11の同時多発テロなどもあって、アメリカのITバブルは崩壊した。