「論客」で政治の巧い者はいない

「論客」と言われる人がいます。
 立て板に水のように論理を展開し、相手をやり込めるような人物のことをさします。こういう人物に、憧れを抱く方もいらっしゃるかもしれません。私も、サラリーマン・ドラマなどで、部下が上司の悪事を弁舌巧みにやり込めるシーンなどを観ると、胸がスカッとします。

 しかし、実際の会社生活のなかで、あのようなことをすれば政治的に非常にまずいことになります。なぜなら、会社生活はその後も続くからです。やり込められて、メンツを潰された相手はあなたを恨みます。「いつか、仕返しをしてやる」と思うのです。これが、いずれあなたの足を引っ張ることになるでしょう。

 敵をつくらないのが、社内政治の鉄則です。
 しかし、論客は、その力を発揮すればするほど敵を増やしてしまいます。だから実は、「論客」という言葉は必ずしも「褒め言葉」ではありません。ある辞書には「第三者による揶揄的表現として使われる場合が多い」と記されています。実際、論客は陰でこう言われているものです。「あの人は、切れ者だけどね……」。その「だけどね」の後に続く言葉こそが、論客に対する本当の評価なのです。

 しかも、議論で負けた人は、本心からあなたの意見に従ってくれるわけではありません。理屈で負けたから、仕方なくあなたの意見に従っているだけです。人間は感情の動物ですから、内心ではいやいや従っているのです。何かの拍子で形勢が変われば、反旗を翻すかもしれません。それでは、本当の意味で、人を動かしたことにはなりません。

 議論で勝って、政治に負ける──。
 これが、社内政治における現実なのです。

できるだけ「議論」を避ける

 とはいえ、仕事を進めるためには、自分の考えを相手に認めさせなければならない局面が多々あります。
 そんなときは、どうすればよいのでしょうか?