地域の人たちへのおもてなしが
「永続企業」への道

 渦中のなか、取締役社長に就任したのは、私が30歳の時。
 創業者の父とさまざまな葛藤・対立を経て、2002年、「永続企業にする」というミッションとともに、私は2代目社長に就任しました。

 さまざまな改革を経て、おかげさまで現在も12年前と同じ埼玉県入間郡三芳町で、建設系産業廃棄物のリサイクル事業を営んでいます。

 この12年間、私たちが永続企業になるために信頼関係を築かなくてはいけないのは誰かということをずっと考えてきました。

 それは地域や地元の人たちです。
 地域に愛され、信頼される産廃屋にならなければ、ここで仕事を続けていくことはできません。そのためには、地域の人たちへのおもてなしこそが、永続企業への道だったのです。

「マイナス1万からのスタート」から見えた
「里山」という活路

「地域に愛される産廃屋」というのは、とてもハードルの高い目標です。
 なにしろ「産廃屋はこの世に必要ない」「産廃屋は地元から出ていけ」というところからのスタート。
 ゼロからのスタートではなく、「マイナス1万からのスタート」でした。

 でも、私は本気でした。
 どうやって実践するか、とことん考えたのです。
 石坂産業6階の社長室の窓からは広大な里山が見えます。

 もともとこの地域にあった豊かな里山ですが、手入れされずに荒れていたり、大量のゴミが捨ててありました。

 この地域の人々は、この里山の恩恵を受けながら生活をしてきました。
この里山に感謝をしながら生きてきたのです。

 そこで、この里山再生を進めながら、地域の人たちへのおもてなしをしようと考えました。
 ISOを取得したり、プラントを新しくしたり、自分たちでは少しずつ変わってきたつもりでしたが、地域の人たちにはまったく理解されていませんでした。

 そこでまず、荒れた森を整備し、公園をつくることを思いついたのです。
 最初につくった公園施設は、2003年に完成した「花木園(かぼくえん)」でした。
 地域の人たちに自由に使ってもらうことを目的とした里山公園です。

 花木園を訪れた地元の方は「すてきな里山公園だね」とほめてくれました。
 初めて地域から認められたわけです。
 ほんのひと言ですが、とてもうれしいひと言でした。

テーマパークになる里山公園

 花木園の評判がとてもよかったので、父に「公園を広げたい」と相談しました。

 自分でつくった公園が地域の人に喜ばれたことがうれしかったのでしょう。
 父も花木園を増やすことに同意してくれ、地権者の方に土地を貸してくれるようお願いすることになりました。

 担当社員が地権者のお宅に伺い、「お持ちの土地も手入れします。貸していただけませんか」とお願いします。
 そんな私たちの活動が口コミで広がり、自ら「うちの土地もやってもらいたい」と言ってくれる地権者の方も現れ、借地がどんどん増えていったのです。

 こうして花木園が広がるにつれ、この里山公園を活かして、おもてなしをしようと思うようになりました。
 どんなにすばらしい里山公園でも人が集まらなければさびしい。

 そこでテーマパークをつくることにしました。
 花木園ごとにテーマを決め、季節のフルーツが実るフルーツパークや、アスレチックが楽しめるアミューズメントパークなど、おもむきの違う里山公園をつくりました。