中国人から見た日本敗戦の「失敗の本質」(上)1940年に日独伊三国同盟が締結され、日米の対立は決定的に

 2015年は第二次世界大戦が終結して70周年となる。戦争の記憶が薄れていくなか、若い世代は先の大戦とは一体何だったのか、どうして起こったか、ということを考える環境がなくなっている。そのため、戦争について認識は偏ったものとなっている。

 日中関係において、日本はまだ中国に対する戦争を総括しきれていないこともあり、歴史認識が両国関係を発展させるうえで大きな問題となっている。過去の戦争の歴史をどうとらえるかは、日本が中国と付き合う上で大変重要なことである。

 一方、中国は、習指導部発足後、党史と近現代史を重視する方向となり、9月3日の抗日戦争勝利記念日、12月13日の南京大虐殺記念日が設けられた。これは、日本の右傾化への牽制の意味もあるが、主として国内に向けたものであると筆者は考える。というのは、現在の中国の若者も戦争に対する認識はかつてほどではなくなり、あまり関心を持たなくなってきたためである。

 戦争の総括は必要である。しかし問題は総括の仕方だと筆者は考える。勝者の歴史ばかりを見て、敗者の歴史を見逃せば、真実を知ることはできない。

 その意味で、12月8日に、中国のポータルサイト「騰訊」の「短史記」コーナーに同サイト歴史チャンネル編集長の諶旭彬氏(歴史学者)が発表した『日本の極秘文書はいかに第二次大戦を反省したか』と題する文章は、中国人が敗者である日本の側に立って書いた有意義な文章である。

 特筆すべきは、この文章は1951年に日本外務省が吉田茂首相(当時)の指示によってまとめられた「満州事変」から太平洋戦争終結に至るまでの日本外交の致命的失策を徹底的に検討するための文書(この文書は『日本外交の過誤』と称し、外交史料館に所蔵されている。2003年に公開された)に基づいて書かれており、日本人でもあまり知らない事実が書かれていることである。

満州事変に端を発する
中国侵略が全ての誤りの発端

 諶氏の文章は、公開された外交文書に基づいて「満州事変」から太平洋戦争終結に至るまでの日本外交の失策を検討している。それは次の6つの点にまとめられている。

 第一に、満州事変を起こした後、国際社会の非難を跳ね除けて、国際連盟を脱退し、国際社会で孤立すべきではなかったという点。