NTTぷららの映像配信サービス『ひかりTV』が好調だ。サービスが飽和しつつある業界で唯一、現在も年間30~50万人ペースで会員数を増やし続け、会員約300万人は業界最大規模を誇る。しかしこの企業が、NTTグループの「お荷物」から期待の星へと駆け上がった歴史はあまり知られていない。

映像配信サービスの
勢力図を変えた「意地」

 NTTぷららは1995年に「ジーアールホームネット」の名で誕生した企業だ(2008年より現社名)。創業時の目的はeコーマスの普及。簡単に言えば現在の楽天のような企業を目指し、NTTを筆頭に、家電、ゲーム、音響メーカーなど大手5社が資金を出し合ってスタートを切った。

 しかし、業績は一向に上向かなかった。ある社員が当時の「惨状」を語った。「社員は出資した企業からの出向で、(ジーアールホームネットの)社長に人事権がないから、みんな本社の意向を気にして仕事をしていました。たとえば家電の企業から来た方が『出向元が開発した技術を活かしてくれなければ困る』と主張したり……」。

NTTぷらら・板東浩二社長。同社を債務超過状態から立て直し、グループ屈指の優良企業へと変貌させた

 当時はまだ楽天もヤフーショッピングも立ち上がっていない状況。市場の未来が見えないからこそ、NTTは様々な技術を持った企業に声をかけたのだが、これが裏目に出た。何を目指すべきか定まらなくなってしまったのだ。そんななか就任したのが、今も社の舵取りを続ける板東浩二社長だった。

 当時を知る人物に聞くと、板東社長の登板は「将来を期待されて」というより「敗戦処理」に近い雰囲気だったと言う。板東社長も苦笑しつつこれを認める。

「就任直後、財務状況を見ると(NTTからの与信力はあるものの、単体で見ると)既に債務超過だったんです。本社の幹部からも『会社を畳め』と言われる有様。『事業を任されたばかりなのに、早々に撤退したくはない』とすぐ主張しに行きましたよ」。

 しかし、存続の条件は「キャッシュが尽きたら撤退」ということだった。当時のキャッシュは約7.5億円で、毎月1億円以上の赤字を垂れ流しており、このままでは半年程度しかもたない。ここで板東社長が粘らなければ、現在のNTTぷららは存在せず、日本の映像配信サービスの勢力図は大きく変わっていたに違いない。だが、彼はとにかく「自分の会社」をつぶすまいと動いた。