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3.11を忘れない~大震災4年目の「今」を問う

一家全滅の悲痛を生きる力に変えた
「田園の父子鷹」

吉田典史 [ジャーナリスト]
【第7回】 2015年3月14日
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 東日本震災の発生から4年、遺族は今、何を感じているのか。シリーズ「大震災から4年『男の旅立ち』」第三弾は、東松島市(宮城県)に住むある父子を紹介する。息子は妻と3人の子、そして祖母を失った。父はそんな息子を心配しながらも、この4年間、そばで見守り続けた。今2人は新たな家族をつくり、人生を歩んでいる。苦しみ抜いた親子の軌跡を紹介しながら、人が生きる意味を考える。


「やり残したことをやってから死のう」
家族を失った息子と父の深い喪失感

家族を震災で失った阿部聡さんと、父親の誠さん

 「まだ、立ち直ってはいないし、それはなかなかできないことだと思う。あの頃は、ああ、俺の人生はもう終わった、と。嫁さんと子どもが3人いなくなって……。毎日、そんなことを考えていた。一方で、このままではダメだと言いきかせる自分もいて……。ハウス(ビニールハウス)も流されて、しばらくは仕事もできなかった。毎日、することもなく……」

 東松島市(宮城県)の遺族・阿部聡さん(37)が、震災発生直後の状況を振り返る。2011年3月11日の震災では、妻と3人(長男、長女、次女)の子を亡くした。同居していた祖母も津波で死亡した。

 「みんながあの日にいなくなって、自分も死んだほうがいいじゃないか、としばらくは思ったこともある。あのまま、人生を終わることは簡単なんだろうけど……。だけど、考えるようになった。どうせ人生を終えるんだったら、やり残したことをやってからにしよう、と」

 聡さんの右横には、父親の誠さんが座る。2人は震災発生当時、家の裏にあったビニールハウスで農作業をしていた。海岸から2キロほど離れていた。周囲には田畑が多く、家が少ない。物音や住民の声があまり聞こえない。さらには防災無線も聞こえない。しばらくすると、津波が家の影から一気に回り込み、流れてきた。2人は、そばにあった電柱につかまった。

 聡さんは津波にいったんはのまれたが、数十メートル流された後、奇跡的に難を逃れた。誠さんは深夜まで電柱につかまり、一命をとりとめた。誠さん(65歳)は、「俺たちは前を見るしかないんだなあ……」と方言を交え、話し始める。

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


3.11を忘れない~大震災4年目の「今」を問う

この3月で、東日本大震災から丸4年が経つ。大震災が日本に投げかけた課題の大きさは、計り知れないものがあった。足取りの遅い被災地の復興、安住の地を見つけられない被災者、心に傷を負ったままの遺族、再稼働の是非について議論が真っ二つに分かれる原発政策、そして今なお抜本的な議論が行われない防災計画――。いずれも多くの課題が残されたまま、時だけが過ぎ、記憶は薄れてゆく。日常で震災関連の報道が極端に減った今、我々メディアは自戒の意味を込めて「大震災4年目の今」を問いたい。3.11は決して「昔話」ではない。そう、「昔話」ではないのである。

「3.11を忘れない~大震災4年目の「今」を問う」

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