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歴史に学ぶ「日本リバイバル」 松元崇(元内閣府事務次官、第一生命経済研究所特別顧問)

明治の米国人顧問も絶賛
経済成長の礎となった寺子屋教育

松元 崇 [元内閣府事務次官/第一生命経済研究所特別顧問]
【第4回】 2015年3月26日
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前回ピケティについて取り上げた際、「GDPと言っても抽象的なGDPがあるわけではない」「1人ひとりの国民がつくり出す付加価値の全てが積み上がったものが、一国のGDPである」「経済成長の基本は、国民1人ひとりがその持てる能力を十全に発揮できるようにすることだ」とご説明した。

 国民1人ひとりの能力の基本は、教育である。そこで今回は、わが国の明治以来の発展の背景にあった教育について取り上げることとしたい。

 そのような問題意識から見た場合、興味深いのが、明治期のわが国の教育が今日の米国流の教育に近かったことである。それは、江戸の寺子屋教育の延長線上にあったものだった。そのような教育を、デービッド・モーレルという明治政府の教育顧問が絶賛していた。それは、1人ひとりの生徒に向き合う教育だったのである。

米国人の教育顧問に絶賛された
江戸の寺子屋教育

 今日の日本の教育の問題点として画一的ということが挙げられよう。そしてそれは、もっと画一的で中央集権的だった戦前の教育を引き継いだものだと思っている人が多い。明治5年の学制(注1)発布の際の仰出書に「必ス邑(むら)ニ不學ノ戸ナク家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス」とある、いかにも古めかしい文書の響きがそう思わせるのであろう。

 しかしながら実は、この仰出書によって設立された2万4000あまりの小学校(注2)は、画一的とか中央集権的というにはほど遠いものであった

(注1) 明治5年の学制は、フランスにならって学区制(全国を8大学区、1大学区を32中学区、1中学区を210小学区とするもの)を定めたが、実際に設立されたのは小学校だけで、大学としては明治10年に東京に、明治30年に京都に帝国大学が創設された。中学校は設立されず、明治25年に任意制の高等小学校が設立された。
 
(注2)2万4000あまりの小学校が設立された背景に、幕末に全国で1万5000とも2万とも言われた寺子屋の存在があった。江戸では、「一町あたり最低二、三軒はあり、庶民の80パーセントが寺子屋へ通っていた」「近代的な小学校が寺子屋程度の小学校と同数になったのは明治40年であった」(以下、出典のない引用は、今野信雄『江戸を楽しむ』から)。
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松元 崇 [元内閣府事務次官/第一生命経済研究所特別顧問]

まつもと・たかし/株式会社第一生命経済研究所特別顧問、日本ボート協会理事。1952年生まれ。鹿児島県出身。東京大学法学部卒、スタンフォード大学経営大学院修了。1976年大蔵省(現財務省)入省。熊本県庁企画開発部長、大蔵省銀行局金融会社室長、主税局総務課主税企画官、財務省主計局次長などを経て内閣府に転じ、政策統括官(経済社会システム担当)、官房長、事務次官などを歴任。著書に『恐慌に立ち向かった男 高橋是清』(中公文庫)、『「持たざる国」への道-「あの戦争」と大日本帝国の破綻』 (中公文庫)、『高橋是清暗殺後の日本――「持たざる国」への道』(大蔵財務協会)、『山縣有朋の挫折――誰がための地方自治改革』( 日本経済新聞出版社)、『リスク・オン経済の衝撃』(日本経済新聞出版社)など。


歴史に学ぶ「日本リバイバル」 松元崇(元内閣府事務次官、第一生命経済研究所特別顧問)

日本はのるかそるか――。アベノミクスの信が問われるこの国は、まさに時代の岐路に立たされている。我々日本人は、政治、経済、社会の改革をどう見据え、新しい国づくりを考えて行けばいいのか。そのヒントは、近代日本を築き上げてきた先人たちの取り組みからも学び取ることができる。内閣府時代に新しい経済・社会システムづくりの知見を深め、歴史上のキーマンたちの姿を描いた著書を通じてわが国の課題を問い続ける著者が、「日本リバイバル」への提言を行う。

「歴史に学ぶ「日本リバイバル」 松元崇(元内閣府事務次官、第一生命経済研究所特別顧問)」

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