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佐高 信の「一人一話」

沖縄の苦しみを説き続ける翁長雄志の義憤

佐高 信 [評論家]
【第19回】 2015年4月20日
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 沖縄県知事の翁長雄志と会ったのは3月11日の夜だった。東京は目白の椿山荘で、菅原文太の「惜別の宴」が開かれ、その席で名刺を交換しながら、少し話したのである。いい笑顔だなと思った。首相の安倍晋三や官房長官の菅義偉が翁長との会見を拒む険しい状況の中で、しかし、それを感じさせない佇まいだった。沖縄の政治家として、何度も苦しい状況をくぐりぬけてきたからでもあろう。

いまの日本は相当危ういところにきている

 昨年の11月1日、病を押して菅原文太は翁長の応援に沖縄に行き、那覇での知事選1万人集会に臨んだ。そして、「プロでない私が言うんだから当てになるのかならないのかわかりませんけど、政治の役割は二つあります。一つは国民を飢えさせないこと。安全な食べものを食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対戦争をしないこと」と言って、満場の拍手を浴びた。

 文太が主演の『仁義なき戦い』の決めゼリフで結んだこの演説が、知事選を制する大きな要因となり、翁長知事が誕生したといわれる。もちろん、翁長はそのことが十分にわかっていて、「惜別の宴」に姿を見せたのだろう。

 文太と対照的なヤマトンチュウは安倍や菅だった。4月5日にようやく会った菅に翁長はこうぶつける。

 「去年の暮れ、今年の初めと、どんなにお忙しかったかわかりませんが、こういった形でお話をさせていただいて、その中から物事を一つひとつ進めるということがありましたら、県民の方も理解はもう少し深くなったと思うんですがね」

 翁長が「どんなにお忙しかったかわかりませんが」と痛烈な皮肉を法政大学同窓の菅に浴びせたのは、2年前の2013年1月27日には安倍と菅が一緒に那覇市長だった翁長に会っているからである。

 その日、沖縄へのオスプレイ配備撤回と米軍普天間飛行場の県内移設断念を求める「建白書」を首相の安倍に手渡した翁長ら沖縄県の首長や議長は東京の銀座をパレードして、それを訴えた。先頭に立った翁長をはじめ、当時は多くが自民党である。その彼らに、「売国奴、日本から出ていけ」「琉球人は中国人のスパイだ」といった罵声が浴びせられた。多くは安倍を支持するといわれる在特会やネット右翼の主張である。

 翁長はショックを受けたが、それ以上に不気味だったのは、100本か200本の日の丸を掲げて自分たちを非難している狂信者たちのそばを、何事もなく通り過ぎて買い物をしている人たちの存在だった。

 「何か起きたのか?」と立ち止まるわけでもない。

 それらは無関係のことだとして日常の生活をしている人たちを見ながら、翁長は、いまの日本は相当危ういところにきているんじゃないかと思った。

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佐高 信 [評論家]

さたか・まこと 1945年山形県酒田市生まれ。評論家、『週刊金曜日』編集委員。高校教師、経済雑誌の編集者を経て評論家に。「社畜」という言葉で日本の企業社会の病理を露わにし、会社・経営者批評で一つの分野を築く。経済評論にとどまらず、憲法、教育など現代日本のについて辛口の評論活動を続ける。著書に『保守の知恵』(岸井成格さんとの共著、毎日新聞社)、『飲水思源 メディアの仕掛人、徳間康快』(金曜日)など。


佐高 信の「一人一話」

歴史は人によってつくられる。ときに説明しがたい人間模様、ふとした人の心の機微が歴史を変える。経済、政治、法律、教育、文化と幅広い分野にわたって、評論活動を続けてきた佐高 信氏が、その交遊録から、歴史を彩った人々の知られざる一面に光をあてる。

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