「正しさ」を盲信した大西議員のポンコツぶり

 自民党議員の勉強会「文化芸術懇話会」で、一部の議員から報道への圧力とも取れる暴言が連発して波紋を広げている。大西英男議員は「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」と気炎を上げたらしい。

「日本を過(あやま)つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」

 まるで幼稚なクレーマーのような物言いだが、これが国会議員の発言だというから、なんとも情けない気持ちになる。大西議員はその後、発言の真意を釈明したが、「マスコミを懲らしめる」という考えは変えていない。

「懲らしめる」と息巻くオジサンの“正しさ”とは…?

 それにしても、「懲らしめる」なんて日本語を聞いたのは、子どもの頃に「かちかち山」の絵本を読んで以来だ。「懲らしめる」とは、悪さをした者に懲罰を与えて反省させるという意味だが、民話にならって言えば、大西議員にとって自身の意にそぐわない報道をするマスコミは「かちかち山」のタヌキなのだろう。

「懲らしめる」と言うからには、当然、懲らしめる側は「正しく」なくてはいけない。タヌキの正しくない行いを反省させるために、懲らしめなければいけないというわけだ。

 大西議員の発言には、「表現の自由」や国会議員の「憲法尊重擁護の義務」などさまざまな側面から問題を指摘できるが、筆者が気になったのは「懲らしめる」という言葉に込められた、自身の「正しさ」を疑わないポンコツぶりである。

 こうした自身の「正しさ」を盲信して、正しくない人を懲らしめようとする「めんどい人々」は、政治家に限らず現代の世の中に溢れかえっている。