佐野研二郎とはいったい何者なのか? 世間的には「いま、日本でもっとも有名で旬のアートディレクター」ということになっていて、それはもちろん間違いではないかもしれないが、僕が問うてみたいのは、彼が「何をやってきたのか」ではなくて、彼の「クリエイターとしての本質」である。

 それはつまり、ますます世界を巻き込んで広がっている一連のパクリ疑惑そのもの、つまり佐野氏が何をパクったかということよりも、今回のパクリ騒動がなぜここまで大騒動になったか、ということである。

 結論を先に述べると、いまだに騒ぎが収まりそうにない今回の騒動の本質は、パクリではなく、佐野研二郎というクリエイターの本質と、日本社会の伝統的な美意識の「対立」なのではないかということである。つまり、多くの人が考える「日本人のクリエイティビティに対する感覚」というものに対して、「佐野氏のクリエイターとしての感覚」が真っ向対立しているところに、今回の騒動の根本的原因があると思われるのだ。こんな人間が日本を代表するクリエイターだと評価させていいのか――。執拗に佐野作品の疑惑を追及する人たちの本当に怒りはそこにあると思う。

佐野作品になき「オリジナリティ」

 ちなみに、多くの人が考える「日本人のクリエイティビティに対する感覚」とは、“オリジナリティ”と“リスペクト”だと思うのだが、残念ながら佐野氏の作品からはそれが感じられない。身内の業界人以外からは佐野氏擁護の声がほとんど聞こえてこないのも(ただしその擁護者の多くも、例のサントリーのトートバック事件以降、逃げてしまったようだが)、この二大要素が決定的に欠けているからだと思う。

 騒動をさらに大きくさせたサントリーのトートバック問題でも、多くのデザインに他者作品のパクリが指摘された。佐野氏側はそれを「トレース」と表現しているが、トレースどころか素材の画像をそのままコピペしただけのような事例も見受けられる(事実、そうした作品は後日取り下げられた)。僕ももちろん、これらの行為は明白なパクリ行為だと思う。

 しかし誤解を恐れずに言えば、たとえ誰かの作品をパクったとしても、そこにオリジナリティがあれば、それは作品としてOKだと思う。代表的な例が、音楽の世界における「サンプリング」だ。

 サンプリングというのは、過去の名曲や偉大なミュージシャンのフレーズなどをそのままコピペして使用しながらも、原曲を超える、あるいはまったく別の世界観を持つオリジナル曲を作る手法のこと。これが音楽の世界でちゃんと市民権を得ているのは、著作権処理をちゃんとしているとかそういう業界ルールや手続きとかではなくて、そこにオリジナリティがあると多くの音楽ファンが認めているからだ。