米軍の「トモダチ作戦」で
多くのアメリカ人が被曝した事実

 さて、フクシマ原発事故が起きたとき、日本政府の依頼で、トモダチ作戦(Operation Tomodachi)が実行され、アメリカの原子力空母ロナルド・レーガンが、フクシマ原発事故と津波被災者の救済に出ました。

 そのうち、今日までに250人以上が病気になって、3人も死んでいます
 この乗組員は、みんな若い世代です。
 この人たちは、日本人以上に大量に被曝させられたので、黙ってはいません。
「俺たちは日本がウソを言ったために、被曝した」として、米兵が東京電力に総額1億1000万ドルの損害賠償などを求める訴えをアメリカの連邦地裁に起こしました。

 当初の原告団は8人くらいでしたが、今はその数が増えていますから、賠償金額も大変な金額になっているでしょう。

 この「トモダチ作戦」は、乗員5500人のロナルド・レーガンのほか、駆逐艦プレブル、マッキャンベル、カーティス、ウィルバー、マッケインの5艦と、巡洋艦チャンセラ-ズヴィル、それに数隻の支援船で編成されていた。彼らの訴えの言葉を聞くと、原発事故が起きた海岸から3キロメートル(2マイル)の位置まで近づいて、津波被災者の救済や、原発事故処理の支援を敢行した作戦だったそうです。

 放射能の8割が落ちた海上で、3キロメートルですから、トテツモナイ放射能を浴びた場所です。そこになんと、80日間も滞在していたといいますから、想像もできないほどの被曝をした可能性があります。

 この人たちは──日本人よりすさまじい被曝をしました。放射能雲に包まれて働いた彼らは、これまでに大量の男女兵士が、腫瘍、震え、内出血、脱毛など、さまざまな健康問題を起こすことになったのです。たくさんの障害が出ています。

 このアメリカ人たちが、今回のフクシマ原発事故では、現地の救済活動をした自衛隊員や消防隊員と共に、最大の被曝者です。この人たちと同じことが、大なり小なり、東京を含む東日本全域の人たちに起こっているわけです。
 当時は、2011年3月に雪が降っている季節でしたが、大量に被曝をしたこの人たちの中で、おそらくこれからたくさんの人たちが亡くなるだろうと思います。

「マッド化」する安倍晋三と<br />身の毛もよだつドローン空撮の衝撃<br />――エッセンシャル版・緊急特別講演会<br />【パート5】

 放射性物質が落ちた海はどうなったかと言うと、この太平洋の汚染図のように、原子炉が爆発した翌年、一年後の2012年3月までに、左側の福島から出た放射性物質がハワイまで到達し、その後はアメリカ西海岸まで到達しています。このままでは終りません。

 大量の放射性物質がアメリカ大陸の海岸に到着すると、海流は南に回って、何年後かわかりませんが、最終的には太平洋をグルッと回って九州のほうに戻ってきます。海流は、かなり長い期間で回ってくるようになっているからです。

 身近な千葉県の銚子や東京を含む東日本地域で考えると、毎年10月は秋サバやサンマが北からおりてくる季節ですね。サケもおりてきます。
 南から黒潮に乗ってのぼってくるのが「上りカツオ」、それが福島沖合でターンして南に向かうのが「下りカツオ」です。高知県に行けば、うまいカツオが食べられますよ。しかしそれが、ノボリかクダリかは、わかりません。そもそも魚は回遊しますから、どこでとれても、魚に「お前はどこから来た?」と尋ねないと、わかりません。

安倍晋三は「マッド」だ!

 九州大学が、川内原発の大事故で海洋汚染がどのように進むか、シミュレーションした図を、ダイヤモンド書籍オンラインですでに示しましたね。
 これは、3ヵ月後の汚染の予測です。

 川内原発が爆発すると、まず、瀬戸内海の沿岸都市は、大阪まで全滅します。さらに暖流の黒潮が北上して、日本一の水揚げを誇る千葉県の銚子まで上がっていって、南下してきた寒流の親潮とぶつかる。そのぶつかったところが、福島原発沖の最大の汚染海域です。

 この黒潮が汚染されれば、太平洋岸の魚が、すべて食べられなくなります。
 一方、九州の北側では対馬海流が北上して、日本海側を大汚染の海に変え、さきほど見た太平洋の汚染図をそのままそっくり日本海がかかえることになります。日本海は内海ですから、放射能はほとんど出て行きません。こうして、日本は陸も海も、全部終るのです。川内原発と伊方原発を再稼働することが、どれほど罪深いことか、お分りですね。

 このようなことを許しては、子どもたちに申し訳が立たない。
 安倍晋三は「マッド」だと、はっきり言います。

 こういう事実をまったく直視せず、再稼働に突っ込んでいる。
 フクシマ原発から大量の放射能が流れた北西方向にある浪江町(なみえまち)で、「希望の牧場」を経営する吉沢正巳さんが、多くの牛を飼っていました。フクシマ事故が起こったあと、政府の命令で「牛を殺せ」と言われたのですが、「自分は牛を愛している」と抵抗し、飼い続けてきました。
 しかし、現在、白い不気味な斑点が出始めている牛が20頭以上が出ています。吉沢さんは「牛は原発事故の生き証人だ」として、放牧して飼っています。吉沢さんは、「何が起こるのか見届けるために」と、私たちに危険性を教えてくれています。どこの集会に行っても、吉沢さんの姿があります。