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リサイクル店に近代的経営を
挫折を肉体で切り開いた苦労人
サンセットコーポレイション社長 丹野照夫

週刊ダイヤモンド編集部
【第112回】 2010年6月3日
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サンセットコーポレイション社長 丹野照夫(撮影:加藤昌人)

 世がバブルに浮かれた1980年代後半、銀座・並木通りのある工事現場。出稼ぎ外国人労働者に交じって、大学を中退したばかりの丹野照夫が泥まみれで働いていた。高校時代には競輪選手を目指し猛練習を重ねた丹野。だが、夢は叶わなかった。

 目標を失ったまま大学に入るが半年で退学。朝から晩まで寝ていたり、九州を放浪したり、失意の底でもがく時間が続いた。自分を立て直すため、1年の期限付きで工事現場に飛び込んだのである。

バブル崩壊で借金抱え
トラック運転手で創業資金貯める

 現場と寝床をひたすら往復する毎日。1年後、手にしたカネでリクルートスーツを買った。といっても、何をしていいのかわからない。銀座の工事現場によく止まっていた外車の持ち主の職業はさまざまだったが、「入るのにいちばんハードルが低い」という不動産会社を選んだ。

 持ち前の根性で仕事のノウハウを覚え、独立するまでに時間はかからなかった。だが、時はバブル崩壊前夜の89年。転売益を狙い購入した物件は価格が暴落。数千万円の借金を抱えた。「腎臓を売れば大金になる」との誘いに乗りそうになったことすらある。不動産は担保や資本がない者には不利、と思い知らされた。

 2度目の挫折のなか偶然見出したのが古本屋の世界だった。ふらりと入った古本屋で、たまたま友人が働いていた。こっそり出納帳を見せてもらうと、その利益率の高さに驚いた。これはビジネスになる、と踏み早速店主と交渉。100万円を払い商売のノウハウをすべて教えてもらった。

 その後、長距離トラックの運転手として働き、借金を返済しながら創業資金を蓄えた。布団の上で寝たのは1年で1回だけ。昼も夜も働いた。そして約200万円を手にした91年、千葉市中央区に最初の店舗を開業。わずか6坪、廃材を用いて自分で作った店からサンセットコーポレイションはスタートした。

 丹野は、古本屋という業態が、粗利率は高いものの、サービス面で欠陥があることに注目した。当時は常連客と一見客で商品の買取価格が異なったり、立ち読み客を追い返したりしていたのだ。そこで、買取価格を明示し、さらにゲームソフトなど顧客からの要望が強い商材も本と一緒に置いた。これが結果的に、現在サンセットコーポレイションの中核事業である複合リサイクル業態の萌芽となった。

 かつて肉体労働で鍛えた鉄の根性も、初期の成長を支えた。創業直後の丹野は、カウンターの裏やクルマで寝泊まりしていた。来客があればベルでわかるようにして24時間店を開けていたからだ。創業から3年間は、毎月3万円以下で生活し、一年中同じ服を着た。社員以外とは人付き合いも皆無だった。

 こうした働きぶりで、創業後わずか3ヵ月で出店コストを回収し、2号店を出店。毎年3店ずつ出店し業績は順調に伸びた。94年に千葉県・浦安に80坪の大型店を出店してからは成長に弾みがつく。その後も千葉県、東京都、埼玉県を中心に出店し、現在は中核の複合リサイクルショップ「エンターキング」21店、ブランド品リサイクル店「銀蔵」6店ほか、グループ全体で44店を展開。2010年3月期は連結売上高で121億円、経常利益で1億円を見込む。

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