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吉野家ホールディングス会長・安部修仁の僕ならこう考える

倒産、牛丼販売停止…
吉野家経営危機時に求心力をどう維持したか

安部修仁 [吉野家ホールディングス会長]
【第7回】 2016年2月10日
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倒産や主力商品である牛丼の販売停止――。吉野家の安部修仁会長は何度か危機的状況に遭遇した経験を持っている。絶体絶命と思えるような状況を、どう乗り切ったのだろうか。(構成/フリージャーナリスト・室谷明津子)

海外から戻ると
会社が倒産寸前だった

 倒産、そして主力商品の販売停止――。1つの会社で、大きな経営危機にここまで見舞われた人間は少ないかもしれません。吉野家と共に歩んできた道は、まさに「逆境の連続」でした。

企業が迎える最大の危機と言える倒産。満身創痍のなか、安部会長は、どのように社員を励まし、乗り越えていったのか

 私は福岡の高校を卒業後、プロのミュージシャンを目指して上京し、1971年にアルバイトとして吉野家で働き始めました。創業者の“オヤジ”(故・松田瑞穂氏)が、築地1店で年商1億円を稼ぐ「驚異的な牛丼屋」をチェーン化し、さらに大きく成長させようとしていた時期で、会社は活気に満ちていました。

 オヤジは類まれなる能力をもつ創業者でした。中でも、チェーン化に際して人づくり・組織づくりを率先し、教育への投資を惜しまなかった点は、後の吉野家の大きな財産となっていきます。

 私も入社直後から、「米国流のチェーンストアとは何か」を理解するための特別なセミナーを随分受講させてもらいました。働きぶりのいいアルバイトは社員に登用し、年齢に関係なくどんどん仕事を任せ、報酬も上げていく。ハードワークながら、やる気のある人間にはたまらない職場でしたし、私はまんまとその術中にはまったタイプです(笑)。

 吉野家の社員になってから、20代で九州地区本部長のキャリアを経て米国に語学留学。破竹の勢いで伸びていた会社が、帰国するころには経営不振に陥っているなんて思ってもみませんでした。ちょうど私が米国にいるとき、吉野家の急速な店舗拡大によって原材料である牛肉の需給バランスが崩れ、不足した分は乾燥肉を使うようになっていました。低コスト化のために素材をさまざまに合理化したのも、味を劣化させる原因となりました。

 結果、お客さまが離れて売り上げが減り、一方で無理な拡大による新店の赤字増加で、資金繰りが急速に悪化してしまったのです。

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安部修仁 [吉野家ホールディングス会長]

あべ・しゅうじ/1949年福岡県生まれ。福岡県立香椎工業高校卒業後、プロのミュージシャンを目指し上京。アルバイトとして吉野家で働く。72年、正社員として吉野家に入社。83年、取締役開発本部長に就任し、管財人の増岡氏とともに会社再建を目指す。92年、吉野家ディー・アンド・シー社長就任。2000年、東証一部に上場。07年、純粋持ち株会社制に移行し、吉野家HD社長に就任。12年、吉野家HD代表取締役会長に就任。2014年5月、吉野家HDの代表取締役を退任。8月、事業会社「吉野家」社長を退任。現在は吉野家HD会長


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アルバイトからトップに上り詰めた「ミスター牛丼」こと吉野家HD安部会長のコラムがスタート。倒産やBSE問題など、数々の逆境を乗り越えて来たカリスマ経営者が、ビジネスや世相についての持論を語ります

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