三菱重工業の改革を加速させる宮永俊一社長に、前回、その全貌を聞いた。改革は一代限りのものではなく、トップから次のトップへと確実に引き継がれている。かつて大宮改革を支えた宮永氏のごとく、宮永改革の戦略を組織に浸透させているのが、CFO兼グループ戦略推進室長の小口正範氏だ。宮永改革のいまとこれからについて、小口氏に聞いた。(聞き手/DIAMOND MANAGEMENT FORUM編集室 松本裕樹)

日本経済の成長が止まり
事業所主体の経営は限界に

――足元では構造改革の成果が出始めていますが、それまでの約20年間、業績は低成長が続きました。その原因はどこにあったのでしょうか。

小口(以下略):最大の原因は、低成長であるということ自体が認識されていなかったことではないかと思います。業績は横ばいですし、外部機関による信用格付けも右肩下がりでしたから、当然、会社全体として低成長であることはわかるのですが、事業ごとになると見えづらくなっていました。

 各事業部門が投資計画などをつくってくるのですが、「中小企業の集合体」といわれるほど幅広く事業を行っているため、経営陣がすべての事業について即座に判断するのは非常に難しい。そういう状況の中で、各事業部門という個々の集合体としての三菱重工は存在するものの、全体としての意思をあまり持たない組織になってしまったのではないでしょうか。

 さらに各事業所の所長が一国一城の主となっていたことから、全社のリソースを効率的に活用することも難しい状況でした。

 たとえば、広島製作所でコンプレッサーをつくっていて、一方で同じような技術を使って高砂製作所で大型ガスタービン用コンプレッサーをつくっていても、両者には事業所という壁があり、さらに上部に機械事業本部と原動機事業本部というそれぞれの親分がいるわけです。

 同じ社内である以上、最も伸びるであろう分野に技術や人やカネなどのリソースを集中配分すれば成長のチャンスは広がるにもかかわらず、それを可能にする機能が働きにくかったのです。

 それでも日本経済が成長し、インフラ・ニーズが拡大している時期は、各事業所が大きな権限を持つ体制にも一定のメリットがありました。各事業所は、みずからの事業分野にある顧客に対して至れり尽くせりのサービスができるわけです。それこそ電話一本で、すぐに客先に飛んで行ってトラブル対応するなど。これは民間企業に対してだけでなく、たとえば、防衛関係であれば、名古屋航空宇宙システム製作所(名航)の実行部隊が、防衛省と直接やりとりをしながら仕事を進めるなど、非常にうまくいった仕組みでした。

 一方で、各事業所がみずからの問題として全社のことを考えるという発想が非常に希薄だったのだと思います。とにかく、自分たちの事業をうまくやっていればいいみたいなところがあったわけです。

 しかし、こうした特定顧客との密接な関係をベースとする方法は、日本経済の成長が止まった段階で限界を迎えました。