DIAMOND CFO FORUM

日本企業初のCFOに学ぶ実践知【前篇】
CFOは企業価値と理念の守護神である

伊庭 保・元 ソニー CFO

いまから21年前、日本で最初にCFOを導入したのはソニーだが――40年前に日本初のCEO制度を採り入れたのも同社だった――実はその少し前から実質的にCFO機能を立ち上げていた。それは、アメリカで流行していたからとか、グローバル企業の体裁を整えるためではない。当時のソニーが直面していた経営課題を克服するために、現実と対峙する中から編み出されたものだった。日本で最初にCFOを名乗った伊庭保氏に、往時の困難と克服のプロセスを聞きながら、あらためてCFOの仕事について定義してもらった。いわく「CFOは企業価値の番人、基本理念の守り人」。いまこそ、伊庭氏の含蓄のある「体験的CFO論」に耳を傾け、日本企業にふさわしいコーポレート・ガバナンスについて考え直してみる時ではなかろうか。(聞き手/DIAMOND MANAGEMENT FORUM編集室 森 健二)

ソニー黎明期の
コーポレート・ガバナンス

――今年、ソニーは創立70周年を迎えます。経営機構の改革という観点から、70年を振り返ってみると、大きく5つに分けられます。まず、最初の創立時(当時の社名は東京通信工業)、そうそうたる長老たちをアドバイザーとして揃えています。これは珍しい。

伊庭(以下略):そうなんです。前田多門さん(創設者の一人である井深大氏の義父であり、第59代文部大臣)が初代社長で、前田さんの友人で田島道治(みちじ)さん(日本銀行監事。初代宮内庁長官を経てソニー会長)、万代順四郎(まんだいじゅんしろう)(初代帝国銀行頭取、第2代全国銀行協会会長。1953年に東京通信工業の会長)といった、大変な顔ぶれでした。

伊庭 保
元 ソニー CFO
東京大学法学部卒業後、1959年ソニー入社。海外企業との特許訴訟など法務畑に携わる。外国部を経て、1978年欧州現地法人ソニー・オーバーシーズS. A. 総支配人に。1983年ソニーファイナンスインターナショナル社長、1986年ソニーの資材管理本部長。1988年ソニー・プルコ生命(現ソニー生命)社長となるが、1992年のソニーの経営危機に際して、当時社長の大賀典雄氏に呼び戻され、専務・総合企画グループ本部長として再生を担う。1994年副社長、1995年CFOとして活躍。1999年ソニー・コンピュータエンタテインメント会長。2000年ソニー副会長に就任。2001年ソニー顧問。同年ソニー銀行会長、2004年ソニーファイナンシャルホールディングス会長兼社長、2006年ソニー顧問退任。

 これらの方々は、単なるお飾りではなく、会社の経営に深く関わり、専務の井深さん(当時38歳)、取締役の盛田さん(当時25歳)という若い2人の経営者をサポートしながら、監督していました。議論も活発にやっていたようです。

 井深さんが起草した「設立趣意書」にしても、そうした「大御所たち〝PTA〟を説得するために一生懸命書いた」と秘書に語っていたそうです。お金をどうやって集めるかに腐心していたので、まずは彼らに納得してもらわなければならなかったわけです。ですから、頭の中にあることを全部書き出してみたそうです。

――それでかなりの長文(約7000字)になっているわけですね。それにしても、かの有名な「自由闊達にして愉快なる理想工場」という一文をはじめ、復興期の精神に満ちています。

 それがまさに夢だったわけです。その夢を実現するには、お金が必要だった。そして自分たちが、何を目的にして、どういうふうにやっていくのかが明確に書かれています。

――考えてみると、最初から、財務(資金調達)とガバナンスがつながっていたのですね。

 はい。大御所たちを、いわゆる社外取締役と考えれば、彼らからのプレッシャーがあったからこそ、経営者が頭を整理し、具体的な形になり、基本理念として素晴らしい内容になったといえるのではないでしょうか。当初、資金集めには相当苦労したようですが、彼らの信用も大いに役に立ったと思います。

――2つ目のポイントは、創立から30年目となる1976年、日本企業として初めてCEO制度を導入し、盛田昭夫さんが会長兼CEOに、岩間和夫さんが社長兼COO(最高執行責任者)に就任すると同時に、ソニー・グループの最高意思決定機関としての「経営会議」、そして社外取締役を入れた「経営諮問委員会」が設けられたことです。この時、総合企画室という部署を新設し、予算管理システムも手がけています。これは、コーポレート・ガバナンスの制度化を目指したものだったのですか。

 その頃は、まだアメリカでもコーポレート・ガバナンスの議論は盛んではありませんでした。この機構改革の背景ですが、社長の岩間さんが力を発揮できるよう、盛田さんが配慮されたのではないか、と私は見ています。

 トランジスターの開発をみずから主導されてきた岩間さんは、ソニーの将来のためにはLSI(集積回路)など次世代の半導体に本気で取り組む必要があるという考えでしたが、一方で、井深さんは半導体そのものの事業化は必要ないとの考えで、半導体事業に関する見方が必ずしも一致していなかったのです。

 そこで、井深さんには経営諮問委員会の委員長として監督する側になってもらい、実際の経営の相当部分は岩間さんに任せる、そして盛田さん自身は2人の調整を図るという配慮だったのではないか、と。

――岩間さんは技術者を大事にする優秀な経営者でしたが、盛田さんの義弟でもありました。

 ええ、ですから、盛田さんは経営を私(わたくし)するものではない、と示したかったのでしょう。実際、「独裁者というのは、大天才でないと務まらない」と述べており、「6人の代表取締役による集団指導体制を敷き」、合議制へと移行すると明らかにしました。

 「経営会議メンバーの知恵の上に乗って」衆知を集め、事を決すれば、みんなの気持ちを一つにすることができ、リスクも抑えることができる、とも言っています。そして、「独裁というか、独善に陥らないために」チェックする機関として、3人の社外取締役を入れた経営諮問委員会を設けたわけです。

――盛田さんは、1969年にアメリカのモルガン銀行(現JPモルガン・チェース)の国際委員会委員に、1972年にはIBMのWTC(国際ビジネス事業)、1980年にはパンアメリカン航空の取締役に、それぞれ就任されています。

 はい。これらの経験について本人が語った記録は、社内でも見たことがないのですが、アメリカ大企業の取締役会に参画して、よく観察し、よい部分を採り入れたことは間違いありません。1976年の改革も、次世代へのバトンタッチと効率的な経営機構をつくるために、CEO制度を使ったのでしょう。

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「トップ・マネジメントの教科書」CEOとCFO その新しい関係

グローバル経済の本格化によって、歴戦のビジネスパーソンの経験と勘は裏切られる可能性が高まった。トップマネジメントは、リスクを洗い出し、測定し、定量化し、それを踏まえて経営戦略を説明できなければいけない。その際、CEOはCFOの力を借りずしては考えられない。CFOには経営陣の中で論理的な判断のよりどころとなり、CEOを補完すると同時に、戦略志向やビジネスリテラシーも求められている。新しい時代のCEOとCFOの関係はどうあるべきかを求め、取材した。

「「トップ・マネジメントの教科書」CEOとCFO その新しい関係」

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