DIAMOND CFO FORUM

日本企業初のCFOに学ぶ実践知【後篇】
CFOは企業価値と理念の守護神である

伊庭 保・元 ソニー CFO

敗戦直後の1946年に誕生したソニーは、イノベーションを軸に日本の「電子立国」化を牽引してきただけでなく、財務戦略や経営革新においても勇気あふれる挑戦をしてきた。実際、アップルのスティーブ・ジョブズ、アマゾン・ドットコムのジェフ・ベゾスをはじめ、世界的IT企業のお手本(ロール・モデル)ともなってきた。まだ記憶に新しいが、出井伸之氏が社長から会長兼CEOに就任すると、伊庭氏はCFOから外れ、副会長に棚上げにされる。その時期と軌を一にして、ソニーは凋落の一途をたどっていく。それは、CFOが伊庭氏の定義するように機能できなかったことも一因であろう。(聞き手/DIAMOND MANAGEMENT FORUM編集室 森 健二)

コロンビア映画買収後の
ガバナンスを正す

――1992年にCFOに着任されてからのもう一つのやっかいな問題に、コロンビア映画買収後の乱脈経営がありました(注1)。ハリウッドという巨大なコンテンツ・ビジネスと異文化の風土の中で、どう対処されましたか。

 これはかなり大賀さんに責任あり、と思っているのですが、大賀さんは日本のCBS・ソニー(現ソニーミュージック・エンタテインメント)という合弁会社の経営を、盛田さんから託され、みごと成功させたわけですが、その時、ソニーにもCBSにも口を出すなと徹底させました。

伊庭 保
元 ソニー CFO
東京大学法学部卒業後、1959年ソニー入社。海外企業との特許訴訟など法務畑に携わる。外国部を経て、1978年欧州現地法人ソニー・オーバーシーズS. A. 総支配人に。1983年ソニーファイナンスインターナショナル社長、1986年ソニーの資材管理本部長。1988年ソニー・プルコ生命(現ソニー生命)社長となるが、1992年のソニーの経営危機に際して、当時社長の大賀典雄氏に呼び戻され、専務・総合企画グループ本部長として再生を担う。1994年副社長、1995年CFOとして活躍。1999年ソニー・コンピュータエンタテインメント会長。2000年ソニー副会長に就任。2001年ソニー顧問。同年ソニー銀行会長、2004年ソニーファイナンシャルホールディングス会長兼社長、2006年ソニー顧問退任。

 その成功体験に基づいて、エレクトロニクス以外で新規事業を始める時には、そこの経営者に自主独立で任せる、というのが大賀さんの哲学でした。ですから、映画会社も、現地法人のソニー・アメリカ社長のマイケル・シュルホフ氏とピーター・グーバー氏に任せることになったのです。そして、「ソニーの人間はカルバーシティ(当時のコロンビア映画の本拠地)に行くな」と厳命しました。

 シュルホフ氏は、飛行機の操縦など大賀さんと共通の趣味もあって、取り入るのが巧みでしたが、我々から見ると、お金の使い方や意思決定のやり方で首をかしげざるをえない面がいろいろありました。

 特にソニー・アメリカのニック・ヘニーという会計士出身の優秀なCFOは、早くから問題を指摘し、本社スタッフに警告を発し続けていました。ですが、シュルホフ氏はもちろん、本社の首脳陣もなかなか耳を傾けてくれないので、風車に何度も挑むドン=キホーテの絵を自分の部屋に掲げていたほどです。

 我々もいろいろ議論したのですが、大賀さん(1989年にソニーCEOに就任)がその気になってくれなければ、改革に手をつけられませんでした。そこで、アメリカ流のコーポレート・ガバナンスを勉強し始めたのです。

 というのも、映画事業には、アメリカの会社法が適用されるからです。そこでは、社外取締役が経営者を監督する考え方が明確になっています。結果、アメリカ流のコーポレート・ガバナンスの考え方にそれなりに馴染めました。

――乱脈経営は予算で締めていったのですか。

 いや、シュルホフ氏は大賀さんと直結ですから。我々がいくら大賀さんに「問題があります」と言っても、取り合ってくれませんでした。ですが、1995年に社長になった出井さんが、シュルホフ氏の首を切りたいと大賀さんに言って了承を得ます。この点は出井さんの功績です。

 これさえ決まれば、我々も勉強していたので、後は一気呵成に体制を整えました。経営者などが恣意的に会社の金を使えないように、と各階層ごとに金を使える限度をはっきりさせた。「デレゲーション・オブ・オーソリティ」(権限委任)と呼んでいます。

 さらにエンタテインメント事業にアメリカ流のコーポレート・ガバナンスの考え方に沿って、本社が監督の役割を果たす取締役を指名し現地マネジメントの執行を監督する仕組みをつくった。これらの制度設計をしてくれたのが、例のニック・ヘニー氏でした。

――その時のソニー・アメリカの経営機構改革が、今度は日本の本社の改革につながるわけですね。

 取締役会に出るようになって気になったのは、これが本来の機能を果たしていないことでした。その頃の取締役は、功績を上げた人たちの〝終着駅〟みたいなもので、ソニーの成長に伴って40人近くになっていました。ですから取締役会は、形式的に機能しているだけでした。また、(社内)取締役が発言するのは、自分が担当している案件を説明する時だけといった具合でした。

 経営会議(代表権のある取締役6、7人で構成)は、自由闊達に議論していましたが、会社法の精神から言えば、最高の意思決定機関である取締役会を活性化しないといけないのではないか、と考えました。そのためには、もっと取締役の人数を減らし、全社的な立場で議論できる人たちで構成しなければいけない、と人事担当副社長と相談しながら設計を進めていきました。

 それが1997年6月に日本で初めて導入された「執行役員制度」ですね。「執行役員」というのは、伊庭さんが名付け親ですが、役員待遇とはいえ従業員に移行するので、軋轢があったのではないですか。

 あまりなかったですね。39人から10人に取締役を減らし、残りは執行役員になってもらったのですが、むしろ喜んでいました。処遇は変わらないし、取締役として訴訟の被告にはならない、つまらない取締役会に出る必要もない。そのうえ、大賀さんがそれぞれの奥さんに手紙を書くという配慮までありましたから。

 これは、私(当時、代表取締役副社長兼CFO)が、経営会議事務局と法務部のスタッフに手伝ってもらい、制度設計をしました。結果的に、取締役会はかなり活性化し、社内的にも「監督」と「執行」についての理解が深まりました。

注1)買収後、共同CEOとして経営を託した2人のプロデューサー、ピーター・グーバー氏とジョン・ピータース氏による放埒ぶりが、米メディアに格好のスキャンダルとして取り上げられ、キャッシュフローはネガティブなまま業績は低迷を続けた。ピータース氏は1991年に退任。

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「トップ・マネジメントの教科書」CEOとCFO その新しい関係

グローバル経済の本格化によって、歴戦のビジネスパーソンの経験と勘は裏切られる可能性が高まった。トップマネジメントは、リスクを洗い出し、測定し、定量化し、それを踏まえて経営戦略を説明できなければいけない。その際、CEOはCFOの力を借りずしては考えられない。CFOには経営陣の中で論理的な判断のよりどころとなり、CEOを補完すると同時に、戦略志向やビジネスリテラシーも求められている。新しい時代のCEOとCFOの関係はどうあるべきかを求め、取材した。

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