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めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

大学生シュンペーターが歩いた帝都の景観

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第10回】 2008年2月20日
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 1901年、シュンペーターはギムナジウムを卒業するとウィーン大学法・国家学部に入学する。当時、経済学部はなく、この学部で経済学教授(2名)が教えていた。ウィーン大学の創立はなんと1365年。ルドルフ4世が設立したドイツ圏最古の総合大学である。

 キャンパスはリンクシュトラーセ(環状道路、英訳すればリング・ストリート)の北西にある。皇帝フランツ・ヨーゼフが市街を取り囲む城砦を撤去したあとにつくったリンクシュタラーセ沿いに、現在のキャンパスをつくったわけである。

 シュンペーターのウィーン大学卒業は1906年。5年間在学し、博士号を取得している。

シュンペーターが歩いた
ウィーンの街並み

 われらがシュンペーターが歩いたであろうリンクシュトラーセの西側をたどってみよう。ウィーン大学の南側、リンクシュトラーセに沿ったお隣は市庁舎で、道路を挟んだ向かい側にブルク劇場がある(注1)。

 ブルク劇場の前身の設立は18世紀前半だが、シュンペーターがあるいは観劇したかもしれない現在の位置のブルク劇場は1888年にオープンしている。シュンペーターがウィーンにやってきたのは1893年だから、わずかその5年前のことだ。

 ブルク劇場を東に見て、西側に議事堂(当時は帝国議会)、東側にホーフブルクが見えてくる。ハプスブルクの宮殿だ。宮殿の向かい側は美術史美術館と自然史博物館で、現在はウィーン大学の博物館である。

 さらに数百メートル歩くと、リンクの南端に近づき、国立歌劇場(シュターツオーパー、当時は宮廷歌劇場)の威容が現れる(注2)。じつに優雅な建築で、ハプスブルク400年の伝統を感じさせるクラシックな意匠だ。が、じつは完成して杮落としの公演が行なわれたのは1869年、日本の鹿鳴館のオープンが1883年だから、それほど差はない。観客は貴族、ではなくて市民である。

 筆者はウィーンを3回訪れたことがある。リンクシュトラーセをぶらぶら歩いて中心部へ入っても2、3時間でひと回りできる。まあ、人が多い割りに狭い街である。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

「経済成長の起動力は企業家によるイノベーションにある」とする独創的な理論を構築したシュンペーターの発想の冒険行を、100年前のウィーンから辿る知の旅行記。

「めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編」

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