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ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一

血判が押された
K女からの手紙

北 康利 [作家]
【第8回】 2016年6月1日
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歩兵第60連隊

 昭和15年(1940年)12月1日、幸一は伏見の連隊に、歩兵第60連隊要員として入隊した。

 朝の起床は6時、夜の就寝は8時15分。“私用時間”は食事のほか、15分の練兵休憩が2回だけ。つらくないと言えばうそになる。家族との面会が許される1週間後の日曜日が待ち遠しかった。

 幸一は筆まめである。入隊したその日に〈無事入隊、取りあえずご通知まで〉と書いた葉書を粂次郎宛てに出し、面会日についても〈日曜日の面会にはぜひ三人そろって来てください。お願いします〉とあらかじめ知らせておいた。

 面会日は朝からそわそわしていた。彼だけではない、新兵はみな同じ気持ちだった。

 午後2時から4時までのわずかな時間だったが、午後2時になると待ちかねたように家族がやってきた。両手に一杯御馳走を持っている。甘党の幸一のために、信は苦労して手に入れた小豆を煮て持ってきてくれた。まだそのころは、食糧もそこそこあったのだ。

 「お前が行商に出ていてもさびしいと思ったことはなかったが、今は急に家の中に穴が開いたようや」

 信が心底せつなそうな様子で、そう口にした。粂次郎は黙っていたが同じ気持ちだったろう。富佐子も目を真っ赤にしている。

 だが実はもう1人、幸一が面会日を知らせておいた人がいた。K女である。

 4時で閉門だ。家族は当然、ぎりぎりまでいようとする。幸一は内心焦っていた。家族には悪いが、しきりに時計が気になる。やがて4時近くなり、信たちは名残惜しそうに振り返り振り返りしながら帰っていった。

 彼らを見送っていたその時である。物陰から走ってきた若い女性がいた。K女だ。あと2、3分で門が閉まるという時だった。

 「ご家族の方がお帰りになるのを待っていたんです」

 その奥ゆかしい態度が幸一の胸を打った。

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北 康利 [作家]

きた・やすとし/昭和35年12月24日愛知県名古屋市生まれ、東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。資産証券化の専門家として富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長等を歴任。平成20年6月末でみずほ証券退職。本格的に作家活動に入る。“100年経営の会”顧問。松下政経塾講師。著書に『白洲次郎 占領を背負った男』(第14回山本七平賞)、『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』、『吉田茂ポピュリズムに背を向けて』(以上、講談社)、『陰徳を積む 銀行王・安田善次郎伝』(新潮社)、『西郷隆盛命もいらず、名もいらず』(WAC)、『松下幸之助 経営の神様とよばれた男』(PHP研究所)などがある。最新刊は『佐治敬三と開高健最強のふたり』(講談社)。


ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一

ブラジャー。この華やかな商品に一生を捧げた男がいた。戦後京都を代表するベンチャー企業「ワコール」を創業した塚本幸一である。インパール作戦の生き残りという壮絶な戦争体験を持つ彼は、いかにして女性用下着に出会い、その未開市場を開拓していったのか。ベンチャースピリット溢れるその豪快華麗な生涯を、いま最も注目される評伝作家・北康利が描きだす!

「ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一」

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