貧困と介護が一つの家庭に重なった場合、その負担は想像を絶するものとなる。さらに、家族介護が貧困をもたらすこともある。高収入サラリーマンも例外ではない。

「介護心中のニュースは、あえて避ける」
介護離職から生活保護を経験した男性

年収1200万円から路上生活へ、介護離職で転落した男性介護は高収入の人の生活をも一変させる可能性がある

前回は、2015年11月に埼玉県で起こった、高齢の両親と40代の娘の入水心中未遂事件について、「なぜ、一家は公的制度に助けを求められなかったのか?」という側面から検証した。

 この一家は、両親の介護・医療を含めて、「生き延びる」ために生活保護を必要とする状況にあり、しかも極めて差し迫った状況にあった。そのことは自治体も理解しており、迅速に対応した。ところが、生活保護の開始決定を迅速に行うために行われた調査が、皮肉にも心中の引き金となった。調査の4日後、遅くともその10日後には行われる保護開始を待たずして、一家は入水心中を実行。80代の母親・70代の父親が溺死した。死にきれなかった娘は逮捕され、2016年6月23日、懲役4年の実刑判決を受けた。

 今回と次回は、「介護離職」と生活保護を経験した高野昭博さん(61歳)の、経験・思い・考えを紹介する予定だ。

 高野さんは「介護離職」をきっかけとして、生活困窮状態に陥り、住まいを失い、路上生活者となった。その後、生活保護を経験し、現在は生活困窮者に対する相談業務で生計を立てている。週6日の勤務の様子を語る高野さんからは、「働かないと生きられないから働いている」という悲壮さは全く感じられない。相談業務は時に苦労も多いものだが、苦労について話しながらも、高野さんは「動いてないと、おかしくなっちゃう」と楽しそうである。自身については「根っから楽天的なんです」という。

 まず、2015年11月の親子心中事件について、高野さんはどのような思いを抱いているだだろうか?

「正直なところ、『本人しか分からない』ことだと思います。実は、この事件の報道は、あまり読んでいないんです。『知っておくべきなのかもしれない』とは思うのですが、あえて、避けていました」(高野さん)

 高野さんは、高校を卒業した後、流通大手に就職した。ステータスの象徴とされるその企業で、高野さんは販売に従事していたが、ほどなく企画など重要な職務を任されるようになった。高野さんの仕事ぶり・能力・実績は高く評価されており、昇進も順調だった。30歳で主任・33歳で係長・38歳で課長。その企業の平均的な大卒よりはやや遅い年齢ではあるが、高卒で入社した人が30代で課長になるということは、業種を問わず、大手企業では驚嘆されるべきことである。評価は報酬にも反映され、年収は最大で1200万円に達していた。しかし2000年、45歳のとき、高野さんは介護のための退職を余儀なくされることとなった。

 高野さんは、どのように「介護離職」することになったのだろうか?