はじめまして。福島県出身、在住の林智裕と申します。
唐突ですが、みなさんは誰かから「人殺し」と言われた経験がありますか?
私は、あります。しかし震災直後に福島で過ごした者にとってそれは特別な経験ではなく、特に食品に関わる人は酷い言われようでした。私の祖父もその一人で、「フクシマの農家は人殺しの加害者だ」との中傷が飛び交うなか「もう早く死にたい」と言いながら衰弱し、ほどなく他界しました。
友人の一人は、震災後のデマを信じて首都圏へ自主避難した配偶者やその実家から「子供を避難させないお前は人殺しだ」と言われたと聞きます。彼はその後離婚し、当時生まれたばかりであった子供と離ればなれになりました。
こうした被害の報道や言語化は「被曝」の陰に隠されており、原因となったデマや極端な言説もほぼ野放しにされています。私はこれらに対抗すべく、昨年出版された『福島第一原発廃炉図鑑』(開沼博・編)やシノドスにも記事を掲載してきました。
そうした喧噪を経てまもなく6年になる今、改めて「福島」と聞いてみなさんはどのようなイメージを持たれるでしょうか──。
立入禁止エリアは県全体の2.4%
県外で暮らす人は震災前の2.5%
福島県の面積は北海道、岩手県に次いで日本で3番目の大きさ。浜通り、中通り、会津の3地域に分けられ、いずれも独立した県として成立できるほど広大です。そして県全体では190万人以上の人が住んでいます。
まるで福島県全体が震災の、とりわけ原発事故の被害に覆われているかの印象を持たれている人もいるかもしれませんが、今も立ち入りができないエリア(帰還困難地域)は、県全体の2.4%にすぎませんし、震災前に福島県で暮らしていた人のうち、県外で暮らしている人の割合は2.5%です(開沼博著『はじめての福島学』より)。
この数字を“たった”と見るか、“そんなに”と見るかは人それぞれです。
私が言いたいのは、当然、被害の状況や置かれた立場も異なりますし、「復興」という言葉の目指す意味合いも個人ごとに異なるということです。「福島の中」にも実に多様な考えがあり、今書いている私のこの記事もまた、福島の一つの声でしかありません。