NHKやテレビ東京、日経産業新聞などで話題の「マレーシア大富豪」をご存じだろうか? お名前は小西史彦さん。24歳のときに、無一文で日本を飛び出し、一代で、上場企業を含む約50社の一大企業グループを築き上げた人物。マレーシア国王から民間人として最高位の称号「タンスリ」を授けられた、国民的VIPである。このたび、小西さんがこれまでの人生で培ってきた「最強の人生訓」をまとめた書籍『マレーシア大富豪の教え』が刊行された。本連載では、「お金」「仕事」「信頼」「交渉」「人脈」「幸運」など、100%実話に基づく「最強の人生訓」の一部をご紹介する。

自分の意志で「戦う場所」を選ぶ

 なぜ、24歳で日本を飛び出して、マレーシアに渡ったのか――。
 これは、これまで実に多くの方々に質問されたことです。
 答えはシンプル。私は、「戦う場所」を選んだのです。
 日本ではなく、マレーシアで戦うほうが、自分にとって勝算が高いと考えたわけです。

 どういうことか?
 私が青年期を迎えたのは1960年代。当時、日本は戦後の荒廃から立ち直り、「奇跡」と呼ばれる復興を遂げていました。いわゆる高度成長です。国民の多くが「明日はもっと豊かになれる」と思える、非常に活気のある時代でした。しかし、「事業家として何事かを成したい」と願っていた私には閉塞感があった。というのは、すでに日本の体制は、完全に出来上がっていたからです。

 大資本が形成され、それが国内経済を支配。今後、その体制が一層強化されていくのは明らかでした。父親が営んでいた薬問屋の未来も見えていた。父親の薬問屋は石川県の能登地方をエリアとしていましたが、都市部である金沢に本社を構える薬問屋に吸収される運命にあるのは明白でした。さらに石川県の薬問屋は、名古屋に本拠を置く薬問屋に吸収されるに違いない。そのような未来がはっきりと見えていたのです。

 そんな“出来上がった国”のなかに、資金も有力なコネクションもなく、能力的にも平凡な人間である私が入り込んでいって、何かを成し遂げることができるだろうか? そこに、勝ち目があるとは思えなかったのです。

 だから、私は、自分の夢をかなえるためには、「戦う場所」を選ばなければならないと、はっきりと自覚していました。もちろん、ひとりの日本人として日本を愛しています。しかし、自分が事業家として戦う土俵はここではない。平凡な自分が夢を実現するためには、別の「場所」を見つけなければならないと考えたのです。

 そして、私が選んだ「場所」がマレーシアでした。

 1967年に、日本政府が企画した「青年の船」に乗って、東南アジア各国を回ったときにマレーシアという国に魅了されたのです。当時のマレーシアはイギリスから独立して間もない「若い国」で、日本のように“出来上がった国”ではありませんでした。出会った政治家、官僚、実業家も若く、「いい国をつくろう」という清新な志に満ち溢れていました。この国ならば、一生懸命に働けば、平凡な自分でも何事かを成すチャンスがあるはずだと考えたわけです。