ダイソー創業者・矢野博丈が前言撤回して息子を社長にした理由Photo by Tomomi Matsuno

「時代と自分がマッチしていない」と気づいて引退を決めた

 この3月に会長に就任し、社長の職は次男の靖二(せいじ)に譲った。

 その理由については、「ワシももう年じゃけぇ」ということに尽きる。

 1991年、横綱・千代の富士(故人・後の九重親方)が引退会見で「体力の限界ッ! 気力もなくなり、引退することになりました」というコメントを残したが、まさにあの言葉がしっくりくる。当時18歳だった貴花田(後の横綱・貴乃花)に負け、引退を決めたと言われているが、私も同じ。頭も体も、周りについていけなくなった。

 これまで「経営者としての強みは?」と問われても、「そんなもんない。ただただ働くのが好きなことくらい」と答えてきた。頭は悪いし、顔も悪い。次に生まれ変わるとしても、もう自分には生まれたくない。しかし、とにかく一所懸命働くという点では、他の経営者にも負けていないと思ってきた。

 資金繰りに困れば倉庫に行って、自らどんどん出荷作業をしたものだ。「これがみんなお金になるんだ」と思えば、肉体作業も苦にならなかった。

 それが最近は、会社に10時頃に来て、夕方には帰るようになった。社員やスタッフさんに申し訳ない気持ちでつらい。毎日のように「体力の限界ッ!」を実感するようになった。

 具体的に言えば、引退を考え始めたのは3年、いや5年前くらいからだろうか。ちょうどこの頃、マスコミに極力出ないようにしていた。ダイソーの業績自体は売上利益ともに伸びていたのだが、自分の中では「時代と自分がマッチしていない」と思う局面が増えていた。かっこいいことを言っても、「あいつ、全然やっとらんじゃないか」と言われる怖さに怯え、マスコミの前に出られなくなっていたのだ。

 特に、今、伸びている企業のトップは大体、コンピュータとか最新のテクノロジーに強い。コンビニはその最たる例で、小売業はまさにコンピュータの時代になった。ところが自分には全然、そういう知見も能力もない。

 その意味で、世代交代は必然。潮時だった。

 かといって、本当は息子に後を継がせるつもりはなかった。2人の息子たちが子どもの頃から、「継げ」と言ったこともないし、息子たちもそんな気はなかったはずだ。